町並みの今昔 旅館編

山田駅前(現在の伊勢市駅前)航空写真⑤ 佐伯旅館 別館とらや 佐伯大夫 上野館大夫 山田館

前回、山田駅前(現在の伊勢市駅前)航空写真④では大正7年(1918年)から大正8年ころに撮影された絵はがき「空中ヨリ見タル宇治山田市」の外宮寄りに写る左側の建物に屋号を書き入れてみました。今回は残りの外宮寄り右側の建物に屋号を書き入れてみます。

前々回、山田駅前(現在の伊勢市駅前)航空写真③でご紹介した吉野館の画像です。昭和8年(1933年)ころに伊勢屋支店となり、その後、佐伯旅館(さいきりょかん)別館とらやとなりました。

大正15年(1926年)から昭和3年(1928年)ころに佐伯旅館から発行されたパンフレット「伊勢参宮案内図絵」の表紙の画像です。

「伊勢案内図絵」にある市電(このときは三重合同電気)の運賃表の画像です。左側に朝熊連絡切符とありますので、朝熊登山鉄道が開業した大正14年8月から三重合同電気が朝熊登山鉄道を合併する昭和3年11月までに発行されたパンフレットと推測できます。

佐伯旅館は旧御師・佐伯大夫(さいきだゆう 佐伯太夫)が経営する旅館でありました。もともと信濃、安房や小豆島に檀家を持っていましたが、福島御塩焼大夫(ふくしまみさきだゆう)、上野館大夫(うえのだちだゆう)、結城監物大夫(ゆうきけんもつだゆう)の看板(御師銘)を買い入れ、檀家(伊勢講)を取り込みました(昭和前半期における修学旅行と旅行文化 p29)。

昭和11年(1936年)9月の参宮急行電鉄(参急、現在の近鉄)と伊勢電鉄の合併後から昭和16年(1941年)3月の大阪電気軌道と参宮急行電鉄が合併し関西急行鉄道になるまでに佐伯旅館から発行されたパンフレット「伊勢参宮御案内」の表紙の画像です。佐伯旅館の下に別館とらやとありますので、このころまでには伊勢屋支店は佐伯旅館に譲渡(買収)されていました。

「伊勢参宮御案内」にある本館全景の画像です。大正7年~8年ころに発行された「空中ヨリ見タル宇治山田市」には左側の切妻妻入り(きりづま つまいり)の本館はありますが、真ん中の三階建ての建物はまだありません。右奥の建物が元伊勢屋支店である「別館とらや」になります。

「伊勢参宮御案内」にある佐伯旅館の玄関の画像です。玄関の右側の柱には「参宿所 元大橋館 上野館 佐伯大夫」と書かれた看板が掲げられています。上野館とは内宮の宇治橋前に屋敷を構えていた上野館大夫のことで前述したように佐伯旅館が看板を買い入れました。

上野館大夫邸は宇治橋の西側上岸にあった旧御師・沢瀉大夫邸の西側になり、現在の宇治橋前ロータリーの少し南側辺りにあったと思われます。元大橋館とありますが旧御師・腹巻大夫、多気長太夫の経営した大橋館とは別だと考えられます。

「伊勢参宮御案内」にある佐伯旅館が強調された鳥瞰図です。大神宮前駅が「参急大神宮前」となっています。

佐伯旅館は昭和の終わりころに廃業され現在はシャレオサエキビルとなっております。

佐伯旅館跡から戦前は河合商店支店だったと思われる新聞店を挟んで「たぬきや」さん、「静岡屋」さんが入った建物があります。この建物はその前は竹屋支店でありました。

小道を挟んで現在でも営業されている3階建て旅館「山田館」さんがあります。山田館さんの建物は昭和2年(1927年)に増築し現在の姿になったそうです。

昭和26年(1951年)ころに宇治山田市観光課から発行されたパンフレット「宇治山田」にある「旅館街」の画像です。右側手前が佐伯旅館になり、画像中央辺りが山田館になります。

以上の資料や画像を元に屋号やその変遷を書き入れてみました。5回に渡り1枚の絵はがき「空中ヨリ見タル宇治山田市」の外宮参道沿いの建物や屋号、その変遷などを検証してみましたが、絵はがきやパンフレット等の資料も発行年不明の物も多く、移り変わりが激しいので、間違いがあるかも知れませんのでご了承ください。

出典:山田館 ホームページ、昭和55年 皇學館大学出版部発行 神宮御師資料 内宮篇、平成25年 横浜市立大学大学院都市社会文化研究科 太田孝 昭和前半期における修学旅行と旅行文化、平成30年 秋田耕司著・発行 宇仁館物語、wikipedia

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