町並みの今昔 旅館編

千秋楼跡② 與可楼 中岡楼 宇治山田市八日市場

伊勢市八日市場(ようかいちば)の網谷医院の第2駐車場の場所にかつてあった千秋楼①の続きになります。千秋楼の前身は通称を「中岡(なかおか)」と云い、「與可楼(よかろう)」と号し、江戸時代の開業でありました。4代目のときに増築、5代目・中岡助三郎氏は明治12年(1879年)に跡を継ぎ、古い習わしを止め、新しい調理法を選択したことにより名声を博し、神都・宇治山田市(現在の伊勢市)屈指の料亭となりました。

明治39年(1906年)交益社発行の「伊勢参宮案内記」にある與可楼・中岡楼の広告の画像です。

明治40年(1907年)参宮鉄道株式会社運輸係発行の「参宮案内」にある旅館・料理店の一覧の画像です。

同じく「参宮案内」にある與可楼の広告ページの画像です。この広告には中岡楼が併記されていませんので、この頃に與可楼に統一したのかも知れません。

大正2年(1913年)二見浦保勝会発行の「二見名勝誌」にある與可楼の広告の画像です。挿入されている写真の説明書きが「與可楼 新築大広間 百八十畳敷」となっています。

大正15年(1926年)敬神図書出版社発行の「伊勢神宮誌」の主なる旅館名の画像になります。山田駅西方の項に「千秋樓(料理兼營)」とあります。この頃までに経営は宇仁館グループになり、旅館名は千秋楼に変更されました。

昭和5年(1930年)敬神教育会発行の「伊勢参宮」にある宇仁館グループの広告の画像です。

昭和23年(1948年)宇治山田商工会議所発行の「伊勢志摩商工大鑑」の2ページ目にある千秋楼の広告の画像です。この冊子の旅館・料理・飲食の一覧での名称は伊勢山田旅館株式会社千秋楼となっております。会社の代表者はこのときの商工会会頭でもありました。

引用元:明治34年 三谷敏一著 神都名家集 国立国会図書館デジタルライブラリー、明治39年 交益社発行 伊勢参宮案内記、明治40年 参宮鉄道株式会社運輸係発行 参宮案内、大正2年 二見浦保勝会発行 二見名勝誌、大正15年 敬神図書出版社発行 伊勢神宮誌、昭和5年 敬神教育会発行 伊勢参宮、昭和23年 宇治山田商工会議所発行 伊勢志摩商工大鑑

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