町並みの今昔 鉄道編

伊勢電鉄 大神宮前駅跡 参急 関急 

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

以前に伊勢電鉄①でもご紹介した、32枚組の絵はがきセット「伊勢参宮 百八景」にある「伊勢電大神宮前駅」の画像です。この画像は数少ない大神宮前駅の建物を写したものになり「ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 伊勢二見小俣」にも掲載されています。

昭和5年(1930年)12月から昭和17年(1942年)8月まで僅か11年8ヶ月しか営業していなかった大神宮前駅を今回は新たな画像を交えながら、駅舎のあった場所などを考察してみます。

大正9年~11年(1920年~1922年)ころに撮影された空中写真の絵はがき「山田駅付近空中写真」の画像です。画像の上が南になります。

外宮北御門から月夜見宮付近を拡大し、画像の上が真南に近くなるように回転させた画像です。水色の矢印の辺りが大豊和紙工業(旧御師 龍大夫邸)になり、その右側(西側)の道路が現在でもある大世古です。

黄緑の矢印の先辺りに大神宮前駅の駅名標を模した記念裨があります。

山田駅付近空中写真の画像では矢印の先一帯に大きな建物が写っていて、これは宇治山田市立商業学校(現在の三重県立宇治山田商業高等学校)になります。

大正11年に駸々堂旅行案内部から発行された「伊勢参宮案内地図」の外宮北御門から月夜見宮付近を拡大した画像です。大きな建物辺りには赤文字で商業学校と書かれています。

昭和4年に宇治山田市役所から発行された「宇治山田市史 下巻」の1146pに「明治45年1月校舎新築用地として、大字八日市場町字七ッ場・為田・横橋に亘る畑地宅地1108坪余を買収し、同年3月新築に着手、八月竣工、9月1日より新校舎にて授業を開始した」とあります。

その後、入学志願者の増加に伴い、大正13年(1924年)4月に度会郡浜郷村大字神田久志本(現在の伊勢工業高等学校のある場所)に新築移転しました。八日市場の旧校舎は宇治山田市第七尋常小学校(現在の厚生小学校)の分校として使用されました。

昭和6年(1931年)4月に有文堂書店から発行された「神都 宇治山田市街地図」の外宮北御門から月夜見宮付近を拡大した画像です。この画像から上が北になります。

厚生尋常高等小学校(昭和3年に第七尋常小学校から改称)の分校の敷地の北半分に大神宮前駅が描かれています。

昭和7年12月に絵画研究会印刷工芸社から発行された「第四回 酒造組合中央会総会記念」に掲載されている「伊勢電大神宮前駅に参加者下車の光景」の画像です。

数少ない大神宮前駅を撮影した画像で、半分切れていますが伊勢電気鉄道の社章が写り、大神宮前のうち「宮前」が写っています。駅名標を模した記念裨の裏側の説明看板には「約80mのプラットホームが2本と4本の線路、最北端に1本の留置線があった」と書かれていますので、それなりに大きな面積があったと思われます。

「伊勢電大神宮前駅に参加者下車の光景」の中心付近を拡大した画像です。乗合バスの左側に電車の姿が見えますので、プラットホームの東側(外宮側)に駅舎があったことが判ります。

昭和15年(1940年)に絵画印刷工芸社から発行された「紀元二千六百年記念版 伊勢神宮写真帖」に掲載されている「関急電鉄 大神宮前駅」の画像です。この画像でも駅舎の奥に電車が見えます。

駅舎自体の残された画像が少ないので詳しいことは不明ですが、伊勢電鉄時代の駅舎はトタン屋根の簡単な造りの建物の感じでしたが、関西急行電鉄時代には瓦葺きの近代風駅舎に建て替えられていたようです。

国土地理院の空中写真閲覧サービスにある昭和23年(1948年)12月に撮影された大神宮前駅跡付近の画像です。大神宮前駅跡、宇治山田市国民厚生学校(昭和16に厚生尋常高等小学校から改称)分校跡は更地になっていて、現在のNTT伊勢志摩支局の社屋のある場所にある建物が昭和23年11月に移転してきた厚生中学校になります。

現在、宇治山田市国民厚生学校分校跡地には伊勢美容理容専門学校があります。

出典:大正11年 駸々堂旅行案内部発行 伊勢参宮案内地図、昭和4年宇治山田市役所発行 宇治山田市史 下巻、昭和6年 有文堂書店発行された 神都宇治山田市街地図、昭和7年 絵画研究会印刷工芸社発行された 第四回酒造組合中央会総会記念、昭和15年 絵画印刷工芸社発行 紀元二千六百年記念版 伊勢神宮写真帖、国土地理院 空中写真閲覧サービス、Wikipedia

RELATED POST

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)