伊勢古市遊郭①からの続きになります。

「雛形若菜の初模様」のうち、磯田湖龍斎筆の「松葉屋内松の井(まつばやうち まつのい)」(東京国立博物館蔵)の画像です。

同じく「雛形若菜の初模様」のうち、天明2年から3年(1782年~1783年)頃に版行された鳥居清長筆の「松葉屋瀬川 さゝの 竹の」(東京国立博物館蔵)の画像です。
「雛形若菜の初模様」は江戸の華やかな遊郭文化を描いた錦絵シリーズで安永4年(1775年)から天明3年(1783年)頃までに140図ほどの作品が確認されて、吉原の花魁(おいらん)が豪華絢爛な着物に身を包み、禿(かむろ)や新造(しんぞう)と一緒に描かれています。
松葉屋の「松の井」と「瀬川」は大河ドラマ「べらぼう」に登場していましたね。上の2図は「永寿堂」の判があるので版元は同じく「べらぼう」に登場していた「西村屋与八」になります。

喜多川歌麿筆「當時全盛美人揃」のうち「越前屋内 唐土(もろこし) あやの をりの」(東京国立博物館蔵)の画像です。

同じく「當時全盛美人揃」のうち「玉屋内 小紫 こてふ はる次」(東京国立博物館蔵)の画像です。
「當時全盛美人揃(とうじぜんせいびじんそろい)」は寛政6年(1794年)に喜多川歌麿の全盛期に描かれた全10枚の傑作集で、版元は「若狭屋与一」になります。
江戸時代から写真が一般的に普及する明治の中頃までは、遊女を表現するものは浮世絵・錦絵で、当時の流行、美的感覚?などもあり独特で同じような顔に見えてしまいますね。

明治30年(1897年)2月に古川小三郎、松邑孫吉から発行された「伊勢たより参宮案内」に掲載されている「古市備前屋廊下」、「備前屋大吉」、「備前屋八十吉」の画像です。
この頃から遊女は「絵」から「写真」になりました。備前屋は牛車楼とも呼ばれ、当時の古市では2大遊郭のうちの一軒です。

「伊勢たより参宮案内」に掲載されている「伊勢美人」の画像です。伊勢美人として2大遊郭の備前屋と杉本屋の娼妓が二人ずつ、津嶋楼が一人が写っています。浮世絵・錦絵では同じような顔に見えますが、写真ですとそれぞれの個性がでていますね。

伊勢音頭①でもご紹介した明治35年(1902年)10月に博文館から発行された「名古屋と伊勢」に掲載されている「伊勢音頭」などの画像です。
「名古屋と伊勢」の「神都の遊郭」という記事の中で古市についての説明があり、「古市と云えば、其の名も高く盛んなものであったが、今は寂れに寂れて、昔時(むかし)の煙華(えんか)尋ぬるに、殆ど由もない有様である」、「現今の古市は妓楼僅かに19軒」と記述されています。
一方、昭和46年(1971年)に三重県郷土資料刊行会発行の野村可通著「伊勢古市考」の「明治から大正へ」の中で「新道新町遊郭にその繁盛は譲ったとはいうものの、・・・、明治後期から大正中期にかけて古市は依然妓楼25軒前後を擁する大遊郭に外ならず、夜ともなれば紅燈の街に伊勢音頭の歌声がひびき、・・・。」と記述されています。どちらの内容が正しいのでしょうか?

大正7年以前に発行された絵はがき「伊勢古市旅館(菊寿楼)杉本屋」の画像です。「伊勢古市考」ではまだ華やかだった頃の画像になります。

大正7年以降に発行された「伊勢古市びぜんや全景」の画像です。立派な店構えです。

「伊勢古市びぜんや全景」の左下を拡大した画像です。当時の古市の街道沿いの風景がよくわかります。

上の画像と同じ角度で撮影した現在の画像です。備前屋跡の石柱があるのみで、当時の面影はありません。
出典:ColBase、NHK財団 ステラnet べらぼうコラム、明治30年 古川小三郎、松邑孫吉発行 伊勢たより参宮案内、明治35年 博文館発行 名古屋と伊勢、昭和46年 三重県郷土資料刊行会発行 野村可通著 伊勢古市考、Wikipedia
