町並みの今昔 旅館編

杉本屋跡 菊寿楼・華表楼 古市遊郭 伊勢音頭

江戸時代、古市は江戸の吉原、京都の島原と並んで三大遊郭の一つとして知られており、参宮客が「精進落とし」をする歓楽街として繁栄していました。「伊勢参り 大神宮にも ちょっと寄り」という川柳があるように、伊勢参宮が古市で遊興する口実になるほどの人気ぶりだったそうです。今回はその古市三大妓楼(ぎろう)のひとつ、杉本屋(別名:菊寿楼(きくじゅろう)、華表楼(かひょうろう))をご紹介します。

古市参宮街道(伊勢街道)を外宮方面から内宮方面へ進み、古市の信号を越えて40mほどの右側に「備前屋跡」の石標があります。

杉本屋は備前屋の南隣りでしたので、画像の道路右側にありました。

発行年不明の「伊勢古市廓杉本屋 (いせおんど)」と記載された絵はがきの画像です。切妻妻入り(きりづまつまいり)の立派な建物で、屋根は軒に向かって丸みを持たせた「むくり」と呼ばれる形をしております。

絵はがきと同じ角度で撮影した現在の画像です。当時の面影はありません。

1枚目の絵はがきとセットの「杉本屋奥座敷」の画像です。参宮街道は「間の山(あいのやま)」の尾根を通っていましたので、奥座敷は三階建て以上になっております。渡り廊下の側面には菊の大輪を模した飾りが施されています。

杉本屋新座敷の絵はがきの画像です。杉本屋は昭和14年(1939年)3月に火事により焼失し、すぐに再建されましたが営業するには至らなかったそうです。その建物も昭和20年の戦災で焼失してしまったそうです。

大正8年(1919年)鳳鳴社発行 伊勢参宮二見鳥羽朝熊山案内にある杉本屋の広告の画像です。この広告は別名が華表楼になっております。

昭和7年(1932年)3月24日発行の伊勢朝報にある杉本屋の広告です。同紙の伊勢音頭の説明書きには「菊壽樓(杉本屋)では今なほ往昔の手振りをそのまま、古典味豊かな大舞薹で伊勢音頭が演ぜられてゐる」とあります。

昭和4年(1929年)宇治山田市役所発行 宇治山田市史下巻にある「伊勢音頭の図 その二」の画像です。図の左下には「古市 すぎもとや 彦十郎」と書かれています。

古市の伊勢音頭は享保(1716~1736年)の頃に「川崎音頭」として作られました。享保17年(1732年)に古市の遊郭数軒が名古屋の出店を開くことになり、客寄せとして「川崎音頭」を座敷に出したところ評判になりました。名古屋の遊郭が元文3年(1738年)に停止となったので、古市でも「川崎音頭」を出すようになり、いよいよ有名になりました。享保から数十年経つと次第に音曲も変わっていき「伊勢音頭」と呼ばれるようになり、古市の遊女達が唄い、踊るようになったそうです。

引用元:大正8年 鳳鳴社発行 伊勢参宮二見鳥羽朝熊山案内、昭和4年 宇治山田市役所発行 宇治山田市史下巻、昭和61年 国書刊行会発行 ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 伊勢二見小俣、昭和7年3月24日発行 伊勢朝報、wikipedia

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