旧参宮古市街道を外宮から内宮方面に進む途中、古市の信号交差点を過ぎ150mほど進みますと左側に古市のバス停があります。
バス停の道路の反対側にはマンションがありその右側の自動販売機の脇に「古市芝居跡」の石標が立っております。
伊勢古市は江戸、京都、大阪の三都に次ぎ、歌舞伎興行の盛んな地でありました。古市で歌舞伎、浄瑠璃などの芝居興行が行われるようになったのは江戸初期の寛永年間(1624~1644年)で、その後、古市芝居(口の芝居)と中之地蔵芝居(奥の芝居)の二座が一貫して歌舞伎興行を続け、三都以外の地方芝居で揺るぎない地位を築いていきました。
明治に入って間もなく奥の芝居が閉鎖され、明治22年(1889年)に地元の人々の熱い要望により口の芝居跡に芝居小屋「長盛座 (ちょうせいざ)」が建設されました。開場のこけら落としには関西演劇界の雄、中村鴈治郎を招き、大変な人気で連日大盛況であったと言われています。その他、片岡仁左衛門、市川左団次、実川延若、松本幸四郎ら東西名優が続々と来演したそうです。昭和2年(1927年)に大火により長盛座は全焼し、古市歌舞伎はその伝統に幕を下ろしました。
長盛座の右隣りには両口屋(りょうぐちや)旅館がありました。昭和2年の大火により長盛座とともに焼失し、その後再建された建物が上の絵はがきです。玄関の屋根は軒唐破風(のきからはふ)で兎の毛通し(うのけどおし)と呼ばれる妻飾りがあります。
この辺りが両口屋旅館があったと思われる場所です。すっかり住宅地となっております。
同じセットの絵はがきです。バルコニーには立派な盆栽が並べられております。
絵はがき5枚が入っていた畳紙(たとうがみ)です。
発行年代不明の両口屋旅館の引き札です。
昭和2年以降に再建された建物もその後また焼失し、倭町の坂を登り詰めた交差点のところにあった「角屋」という旅館兼すし屋を買い取り、戦後両口屋と改称し営業を続けたそうですが、昭和45年(1970年)に営業を止めたそうです。現在は薬局の駐車場となっていますが、石垣の上には数年前まで旅館や蔵の建物が残されていました。
駐車場の前には観光案内の看板が設置されています。
出典:平成28年 伊勢古市参宮街道資料館発行 古市参宮街道と周辺地域ガイドマップ手帳、昭和61年国書刊行会発行 ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 伊勢二見小俣、wikipedia