今回は宇治山田駅近くに存在した料理旅館・恵宝屋をご紹介します。恵宝屋の読みは「えほうや」で良いのではないかと思います。
明治29年(1896年)11月に小柳津篤太郎から発行された「神都土産繁昌記」に掲載されている恵宝屋の広告の画像です。恵宝屋の文字の上に牛肉専売とあり、この当時は旅館も兼ねていましたが、牛肉販売で有名だったようです。
住所が宇治山田大字箕曲(みの)となっていますが、現在の伊勢市岩渕2丁目に当たります。箕曲は宇治山田駅付近一帯の小字名で箕曲中松原神社(みのなかまつばらじんじゃ)にその名が残っています。
箕曲中松原神社の表参道入口の画像です。宇治山田駅のロータリーを出ると左側に社叢(しゃそう)が見えます。表参道入口は旧電車通りにある伊勢うどんの「ちとせ」さんの目の前にあります。
箕曲中松原神社境内にある説明看板の画像です。
神都土産繁昌記の牛肉の項の画像です。「箕曲 恵宝屋」と並んで「浦のはし 恵宝屋」もあります。本店、支店の関係だと思われますが、詳しいことは不明です。
「浦のはし 恵宝屋」の広告の画像です。こちらは牛肉精鮮品の販売だけのようです。
明治40年(1907年)5月に参宮鉄道株式会社運輸係から発行された「参宮案内」に掲載されている恵宝屋の広告の画像です。この広告にも和洋御料理・牛肉とあります。
明治43年(1910年)頃から大正7年(1918年)の間に発行された絵はがき「旅館和洋御料理 恵宝屋」の画像です。恵宝屋の建物が写っていて前に歩道があって街路樹が植えられています。この時代に立派な歩道があるということは、この通りは御幸道路でよく見ると伊勢電気鉄道(後に三重合同電気⇒合同電気⇒東邦電力⇒神都交通⇒三重交通神都線)の線路も写っているように見えます。
建物に掲げられている看板にある「カブトビール」は明治31年(1898年)から昭和18年(1943年)まで愛知県半田市で製造されていたビールになります。
秋田耕司氏のサイト「古写真で巡る伊勢散歩その1」を参考にすると、恵宝屋は御幸道路沿いの近鉄鳥羽線の高架下辺りにあったと思われます。
絵はがきと同じ角度で撮影した画像です。
1枚目と同じセットだと思われる絵はがき「旅館和洋御料理 恵宝屋」の画像です。キャプションに説明が無く、どこを撮影した画像なのか不明ですが、門が写っていますので北側(宇治山田駅側)からの撮影かも知れません。
うじやまだ駅前横町(旧宇治山田駅ショッピングセンター)側から撮影した画像です。
最初の2枚とは宛名面のデザインが違う絵はがき「旅館和洋御料理 恵宝屋」の画像です。立派な庭園で老婆?の左側には井戸が見えます。
昭和6年(1931年)5月に宇治山田商工会議所から発行された「宇治山田商工案内」の料理兼旅館の項に恵宝屋の名前は確認できますが、昭和23年(1948年)4月に宇治山田商工会議所から発行された「伊勢志摩商工大鑑」にその名前を確認できないので、詳しい経緯は不明ですがそれまでには廃業していたようです。
出典:明治29年 小柳津篤太郎発行 神都土産繁昌記、明治40年 参宮鉄道株式会社運輸係発行 参宮案内、昭和6年 宇治山田商工会議所発行 宇治山田商工案内、昭和23年 宇治山田商工会議所発行 伊勢志摩商工大鑑、秋田耕司 古写真で巡る伊勢散歩その1、wikipedia