町並みの今昔 商店編

伊勢古市 三条小鍛冶宗近本店跡 中之町 三条前バス停

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今回は戦前に中之町に存在した刀剣商・三条小鍛冶宗近(さんじょう こかじ むねちか)本店跡をご紹介します。

京物と呼ばれる山城国(現在の京都府南部)で生産される刀を最初に作った刀鍛冶とされるのが「三条小鍛冶宗近」であります。宗近は平安時代中期に山城国・三条を拠点に作刀し、「三条派」の始祖となりました。

大正2年(1913年)7月に二見浦保勝会から発行された「二見名勝誌」に掲載されている「三条小鍛冶宗近 本店」の広告の画像です。

三条小鍛冶宗近を継承した刀鍛冶は何系統かあって、中之町にあった三条小鍛冶宗近はそのうちのひとつだったと思われます。現在、奈良で同じ店名の「三條小鍛冶宗近」さんが営業されていますが中之町にあった三条小鍛冶宗近との関係は不明です。

広告の中の店内の様子を拡大した画像です。店内の高級品の展示コーナーを撮影したものでしょうか?立派に飾られ、前には盆栽が置かれています。

広告の中の刃物類を並べた様子を拡大した画像です。

数年前、三条小鍛冶宗近の跡地にそのまま住まわれていた子孫の方と少しお話する機会があり当時のことをお聞きしたところ、「元は鍛冶屋だったが、その後は刃物屋だった」、「庭を掘り返したら、土の中から刀がたくさん出てきた」など興味深いことを聞くことができました。また機会があれば詳しく聞いてみたいと思っていましたが、少し前にお亡くなりになられたようです。ご冥福をお祈りします。

明治9年(1876年)3月28日に「廃刀令」が公布されるまでは刀鍛冶専門だったのではないかと思われます。それ以後は広告に「刀剣 及 仕込杖 並 万打刃物製造所」とあるように刀剣、仕込み杖をはじめ万打刃物(よろずうちはもの、包丁、鋏、鉈、鎌など)を製造していたようです。

三条小鍛冶宗近跡の現在の画像です。現在は更地になっており、奥に見える山は朝熊山です。明治45年(1912年)、大正3年(1914年)に神都興信所から発行された「宇治山田商工人名録」の中之町の項にそれぞれ刀剣商として記載されています。

いつまで営業していたかは不明で、昭和23年(1948年)に宇治山田商工会議所から発行された「伊勢志摩商工大鑑」に三条小鍛冶宗近の記載はないのでそれまでには廃業していたと思われます。

三交バスのバス停「三条前」は三条小鍛冶宗近の店名に由来しています。バス停ができた当時は誰もが知っている有名店だったのでしょう。画像右側の木の杭が立っているところが跡地です。画像奥の信号は古市街道と伊勢自動車道が立体交差する信号です。

信号を渡ったところには伊勢古市参宮街道資料館があり古市に関する貴重な資料が展示されていて、無料で見学できますので是非お立ち寄りください!

出典:大正2年 二見浦保勝会発行 二見名勝誌、東建コーポレーションサイト 刀剣ワールド 著名刀工名鑑、奈良若草山麓 三條小鍛冶宗近ホームページ

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