前回まで3回にわたり外宮前から河崎商人館までの町並みをご紹介ましたが、今回からは商人館をご紹介していきたいと思います。
左側の建物に商人館の事務所があります。
事務所の入口横に掲げられている商人館の入館料などの案内板です。
河崎商人館は江戸時代中期に創業し、平成11年(1999年)まで営業していた酒問屋・小川三左衛門商店(おがわ さんざえもんしょうてん・小川酒店)の建物を修復・整備し、伊勢河崎の歴史・文化の交流拠点として再生した施設となります。
事務所のある母屋には古い道具類や文庫本などが展示されています。
展示されている古道具類。この他にも古い写真や地図のパネルなど興味深い資料がたくさん展示されております。
母屋の2階からの眺めです。格子窓から目の前には重厚な商人蔵のある風景で、タイムスリップしたような感覚になります。
明治40年(1907年)5月に参宮鉄道株式会社運輸係から発行された「参宮案内」に掲載されている「小川三左衛門」の画像です。この広告では多数の賞を受領した「あわび粕漬」を推しています。
明治44年(1911年)7月に久保村憲介から発行された曾我部一太著、「鳥羽誌」に掲載されている「小川三左衛門商店」の広告の画像です。この広告では鮑粕漬(あわびかすづけ)に加え、エス印サイダー(エスサイダー、Sサイダー)が掲載されています。
エスサイダーは小川三左衛門商店が明治42年(1909年)に発売を開始したサイダーになり、明治44年までには帝国鉄道院の御指定品になっていました。帝国鉄道院は鉄道省→国鉄→JRとなりました(詳しくは山田停車場 山田駅(現在の伊勢市駅)②を参照)。
この年には近畿・山陽・四国・九州・台湾・朝鮮にまで販路を拡大し、西日本各地の駅で販売され、「三ツ矢サイダー」と肩を並べるほど成長していたそうです。
大正2年(1913年)7月に二見浦保勝会から発行された「二見名勝誌」に掲載されている「小川三左衛門商店」の広告の画像です。この広告ではエス印サイダーにエス印オレンジも加わっております。S印の上にある「西部管理局指定」とは帝国(内閣)鉄道院・西部管理局のことです。
戦後も人気のあったエスサイダーでしたが色々な清涼飲料水が販売されるようのなると次第に生産量も少なくなり、昭和50年代のはじめ頃には製造中止になりました。
現在では復刻されたエスサイダーが販売されており、商人館や商人蔵カフェで飲むこともできます。味は・・・、美味しいサイダーです^^。是非飲んでみてください。
伊勢に来ることができなくても、製造元の伊勢角屋麦酒(いせかどやビール)さんのオンラインショップ等で購入することができます。
商人館の中にはサイダーを製造していた施設の一部がのこされております。画像の左側手前がサイダー検査室になり、画像奥のコンクリート製の塔がサイダー濾過施設になります。
サイダー濾過施設を正面から撮影した画像です。高さは6mほどあり、登録有形文化財になっております。
母屋の裏口辺りに展示されているエスサイダーの刻印のある木箱の画像です。エスサイダーのロゴマークは小川家代々の当主・三左衛門のイニシャルからとった「S」と小川家の家紋「違い鷹の羽」を組み合わせたと云われます。
商人館では復刻された「エスサイダー絵はがき」も販売されており、レトロでオシャレなお土産にもなります。画像は畳紙(たとうがみ)の表紙になります。
次回、河崎商人館②に続きます。
出典:伊勢河崎商人館ホームページ、明治40年 参宮鉄道株式会社運輸係発行 参宮案内、明治44年 久保村憲介発行 鳥羽誌、大正2年 二見浦保勝会発行 二見名勝誌、伊勢志摩経済新聞