町並みの今昔 商店編

三忠 多葉粉入れ 三島屋忠次郎 擬革紙煙草入れ資料館 明和町新茶屋

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前々回のつぼや清兵衛①で少しご紹介した、最初に擬革紙(ぎかくし)を製造したとされる「三忠(さんちゅう)」さんをご紹介します。

三忠さん 全景

貞享元年(1684年)に油紙屋の三島屋の初代・堀木忠次郎がヨーロッパから輸入された金唐革(きんからかわ)を模して制作したのが始まりとされます。三島屋忠次郎、略して「三忠」ですね。

三忠は多気郡新茶屋村(たきぐん しんちゃやむら、後の多気郡明星村、現在の多気郡明和町新茶屋)にあり、現在は三重県のまちかど博物館に認定されている「擬革紙煙草入れ資料館 三忠」となっています。

現在の館長様は初代・忠次郎から数えて8代目になるそうです。

館内には当時に使われていた木製の看板や・・・。

煙草入れなどが多数展示されております。

煙草入れを製造する道具類なども展示されており、興味が尽きません。

天明(1781年~1789年)の頃に稲木の壺屋の主人・池部清兵衛が擬革紙で煙草入れを作ることを発明し、大流行しました。最盛期には伊勢街道の櫛田川から宮川の間に100軒もの煙草入れ屋があったそうです。

有名煙草入れ店のいずれもが参宮客の集中する山田に出店を構え、三忠支店は中之町に、西荘は尾上町に、西藤は岡本町に、つぼや清兵衛支店は今在家町にありました。その他、中河原(宮川町)の鈴木、明野のさなだや、中之町の井村屋、有爾(うに)の北岡、田丸の藍六、森田、山九などが有名老舗でありました。

擬革紙は明治時代には豪華な柄をつけた金唐革紙(きんからかわし)に発展し、壁紙として欧米各国に輸出されました。

明治40年(1907年)に参宮鉄道運輸係から発行された「参宮案内記」にある三忠の広告の画像です。明治33年(1900年)のフランス・パリ万国大博覧会で名誉金牌受領、明治37年(1904年)のアメリカ・セントルイス博覧会で名誉金牌受領とあります。

大正4年(1915年)に古川小三郎から発行された「伊勢参宮誌」にある三忠の広告の画像です。控えめの広告になりましたが、振込が可能になったようです。

昭和に入ると新材料の出現などにより擬革紙は衰退し、昭和5年(1930年)時点での製造販売元は岡本町に移転した三忠、宇治今在家町のつぼや土産物店、榊原土産物店、桜木町のつぼ忠、尾上町の森田栄軒、有爾村の北岡などを残すのみになりました。

そして昭和10年(1935年)には三忠も廃業に至り、擬革紙の加工技術も途絶えてしまいました。その後、擬革紙の会により復興され、平成25年(2013年)には三重県指定伝統工芸品に認定されました。

出典:明治40年 参宮鉄道運輸係発行 参宮案内記、大正4年 古川小三郎発行 伊勢参宮誌、昭和51年 三重県郷土資料刊行会発行 野村可通著 伊勢の古市夜話、wikipedia

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