町並みの今昔 商店編

つぼや清兵衛② 壺屋 内宮前 国産紙煙草入元祖 陶磁式紙製漆器

前回、つぼや清兵衛①で稲木の本店跡と明治39年(1906年)までの広告などをご紹介しましたが、今回はその続きになります。

明治40年(1907年)に参宮鉄道株式会社運輸係から発行された「参宮案内」にある「総本家 つぼや清兵衛」の広告の画像です。広告に「弊店の近傍にまぎらはしき たばこ入店 沢山有」と書くくらいですので、煙草入れは良く売れたのでライバル店が次々にできたのでしょう。

大正元年(1912年)に神都興信所から発行された「宇治山田商工人名録」の今在家町の項に「擬革紙製造紙莨入商 つぼや 西澤 清兵衛」とあります。

大正2年(1913年)に二見浦保勝会から発行された「二見名勝誌」にある「壺屋清兵衛」の広告の画像です。写真の看板は「いなぎつぼや支店」になっていますがキャプション(写真の説明文)は「壺屋清兵衛本店」となっていますのでこの直前くらいに稲木にあった本店は閉店したと思われます。

この広告には「擬革紙製品各種」とありますので、この頃には煙草入れ以外の擬革紙製品もたくさんあったのでしょう。さらに「陶磁式紙製漆器」が登場しています。紙に土を塗って焼いて固め、漆を塗った器の特許を取得して売り出していたようです。

大正5年(1916年)1月1日の消印のあるはがきの画像です。壺の絵に「清」と書かれた新たな登録商標があります。

大正7年以降に発行された絵はがき「内宮電車通り」の画像です。キャプションは「電車通り」になっていますが「おはらい町通り」の誤りですね。

同じ場所で撮影した現在の画像です。左側2軒目は当時と変わらず「榊原物産店」さんです。

「内宮電車通り」の中心付近を拡大した画像です。榊原物産店の次の建物につぼや本店の看板が見えます。

二見名勝誌に掲載されている広告に「宇治橋より一丁手前(一丁≓109m)」とあることを考慮すると、つぼや本店のあった場所は現在の「二光堂」さんの場所になります。

大正11年(1922年)に三重県勧業協会から発行された「三重県商工案内」の土産物・絵葉書の部に「土産物煙草入販売 つぼや 宇治山田市今在家町 西澤 よ祢」とあります。

昭和6年(1931年)に宇治山田商工会議所から発行された「宇治山田商工案内」の土産物の項に「今在家町 つぼや 橋爪 彦兵衛」とありますので、大正11年以降に経営者が替わっているようです。その後、時期は不明ですが「二光堂」さんに移譲されたのでしょう。

出典:明治40年 参宮鉄道株式会社運輸係発行 参宮案内、大正元年 神都興信所発行 宇治山田商工人名録、大正2年 二見浦保勝会発行 二見名勝誌、大正11年 三重県勧業協会発行 三重県商工案内、昭和6年 小林四五百著 宇治山田商工会議所発行 宇治山田商工案内

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