町並みの今昔 道路編

御幸道路沿いの風景① 外宮前起点 山田郵便局電話分室 宇治山田市役所

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2019年に御幸道路①(御成街道)という記事を書きましたが、今回は新しい画像も交えながら改めて御幸道路(みゆきどうろ)沿いの風景としてご紹介します。

明治末期から大正初期の間にMATSUMOTOから発行された32枚組の絵はがきセット「伊勢名勝」のうち「御幸通起点」の画像です。絵はがきのタイトル通りで、外宮表参道の入口を起点とした御幸通り(現在は一般的に御幸道路)を撮影した画像で画像奥が市役所方面になります。

御幸道路は明治40年(1907年)9月着工で明治43年(1910年)に完成しています。御幸道路の開通当時は外宮の表参道入口から真っ直ぐに伸びていました。画像左側の建物は明治42年に建てられた山田郵便局になります。

画像の中央に電車が写っていますが、明治36年(1903年)8月に本町ー二見間で営を始めた伊勢電気鉄道(開業時は宮川電気、桑名ー大神宮前駅を開業した伊勢電気鉄道とは別会社)の電車になります。御幸道路開通とほぼ同時期の明治42年10月に本町ー外宮ー古市口が開業して、この区間は御幸道路上に線路がありました。電車が止まっているところが外宮前の停留所になります。

「御幸通起点」と同じ角度で撮影した現在の画像です。伊勢電気鉄道は社名変更、合併などを経て昭和19年(1944年)に三重交通神都線となり、そして昭和36年(1961年)1月に廃線となりました。山田郵便局は無くなり、御木本道路(みきもとどうろ)が出来ていて起点付近は改造されていています。

山田郵便局は昭和43年(1968年)に解体されて、翌年に愛知県犬山市の明治村に移築されました。

大正前期に発行された絵はがき「外宮前」の画像です。外宮表参道の入口から伊勢市駅方面を撮影した画像になります。明治末期より写っている自動車が少し進化していますね。

絵はがき「外宮前」と同じ角度で撮影した現在の画像です。撮影時はたまたま参拝する人があまり居ませんでした。

大正12年(1923年)以降に発行された絵はがき「山田電話局」の画像です。大正12年11月に建てられ、建設当時の正式名称は山田郵便局電話分室でした。江戸時代から明治18年(1885年)ころまでこの場所は御師・久保倉大夫(くぼくらたゆう)邸でありました。

絵はがき「山田電話局」と同じ角度で撮影した現在の画像です。現在は伊勢市民活動センター(パルティいせ、いせシティプラザ)が建設されていて旧山田郵便局電話分室の建物は見えません。

この画像より左側の御幸道路は付け替えられています。

現在の伊勢外宮前郵便局前の画像です。山田郵便局電話分室の建物は現存しており令和元年9月には国の登録有形文化財に指定されています。昭和29年(1954年)に現在のNTT伊勢志摩支店の場所に電話交換室が移転したのに伴い、昭和30年より伊勢健康管理所として利用され、現在では北側がフランス料理「ボンヴィヴァン」さん、南側が「ダンデライオンチョコレート」さんとして利用されています。

昭和10年(1935年)ころに発行された絵はがき「宇仁館別館 大橋館」の画像です。この場所は江戸時代から明治末期まで御師・三日市大夫次郎(みっかいちたゆうじろう)邸でした。御幸道路開通により敷地が分断され、北側が三日市旅館、南側が旅館・三日市大夫次郎となり、昭和8年ころより南側は宇仁館別館・大橋館となりました。

現在の宇仁館別館・大橋館跡の画像です。現在は津地方法務局・伊勢支局になっています。

昭和4年(1929年)1月に宇治山田市役所から発行された「宇治山田市史 上巻」に掲載されている「宇治山田市役所」の画像です。この場所には御師・三日市兵部(みっかいちひょうぶ)邸がありました。

市制が施行される前年の明治20年(1887年)に宇治山田町になり、明治39年(1906年)に宇治山田市となりました。昭和30年(1955年)に宇治山田市から現在の伊勢市に改称されました。

現在の伊勢市役所の画像です。伊勢市役所本庁舎は昭和40年(1965年)に建設され、平成30年に耐震化などの改修工事がされています。

出典:伊勢市ホームページ 伊勢市の文化財、昭和4年 宇治山田市役所発行 宇治山田市史 上巻、wikipedia

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