御幸道路(みゆきどうろ、別名・御成街道、御幸通り)は明治43年(1910年)3月に開通し、天皇の伊勢神宮参詣時の参拝経路として利用される道路になります。
以前、御幸道路①では外宮付近から錦水橋、徴古館前を御幸道路②では内宮停留所付近をご紹介しましたが、今回は市立伊勢総合病院前付近から徴古館付近を古い画像を交えてご紹介します。
大正7年(1918年)4月以前に発行された絵はがき「伊勢御成街道ヨリ朝熊山遠望(中央ニ見ユルハ内宮及二見浦行き電車)」の画像です。画像の奥に見える山が朝熊山になり、画像右奥の平地部分にぼんやりと楠部(くすべ)の集落がみえますがそれ以外の平地は見渡す限り水田です。
伊勢病院西口バス停付近から撮影した現在の画像です。朝熊山の形は今も昔も同じですね。画像中央の高架が鳥羽二見ラインでその奥に見える白い大きな建物がイオン伊勢店になります。
上の画像より、もう少し鳥羽二見ライン寄りから撮影した現在の画像です。こちらの方が絵はがきの撮影地点に近いのですが、視界は悪くなります。
「伊勢御成街道ヨリ朝熊山遠望」の電車を拡大した画像です。着物の女性2人の奥、左右に電車が見えます。電車が走っている場所は現在の国道23号線上になります。
参宮自動車営業部発行の絵はがき「御幸通りヨリ倉田山遠望」の画像です。画像の中央の奥に小さく見えるのが明治42年に完成した神宮徴古館(じんぐうちょうこかん)になります。
画像に写っている自動車は1908年に発売されたフォード・モデルTツーリングで日本では「T型フォード」の通称で知られているようです(筆者はクラシックカーに詳しくありません(>_<))。
伊勢病院西口バス停付近から徴古館方面を撮影した現在の画像です。絵はがきの画像では画像の左側に山の斜面が写っていますが、現在はそのような斜面は存在しないので時期は不明なのですが、道路拡張時?に削りとられて付近も宅地化されたのではないかと推測されます。
参宮自動車営業部発行の絵はがき「伊勢御幸通倉田山」の画像です。道路の左側に明治44年3月に建てられた神苑会記念碑が写っていないので、明治43年3月から明治44年2月までの撮影された画像になります。
大正3年(1914年)3月19日のスタンプ印のある絵はがき「伊勢倉田山徴古館」の画像です。この画像には明治44年に建てられた神苑会碑が建っております。
大正7年(1918年)4月以前に発行された絵はがき「伊勢徴古館ト御幸通」の画像です。この画像にも神苑会碑が写っており、着物の女性3人の左後方には鳥居らしきものはありません。内宮の別宮である倭姫宮は大正12年(1923年)の創建でまだこの時には存在しません。
絵はがき「伊勢御幸通倉田山」、「伊勢倉田山徴古館」、「伊勢徴古館ト御幸通」と同じ現在の倭姫前(やまとひめまえ)の信号付近の画像です。山を削りとった斜面には開通当時には無かった赤松などが成長し、徴古館が見えにくくなっております。
参宮自動車営業部発行の絵はがき2枚が入っていた畳紙(たとうがみ)の画像です。この道40年のベテランの運転手さんにお話を聞いたところ参宮自動車は昭和62~63年(1987~1988年)前後までは営業をしていたそうです。
現在、宇治山田駅前にある「メガネのマスダ」さんのある場所に参宮自動車の営業所があったそうです。
出典:wikipedia