町並みの今昔 道路編

御幸道路④ 神苑会記念碑 大鳥居 太田小三郎君紀功碑 大岩芳逸翁碑 神苑会

御幸道路③でもご紹介した絵はがき「伊勢徴古館ト御幸通」の画像です。

明治44年3月に建てられた神苑会記念碑付近を拡大した画像です。神苑会は後述する太田小三郎、大岩芳逸らを中心に結成された財団法人です。

神苑会記念碑付近の現在の画像です。記念碑が黒っぽいので少し見にくくなっております。

倭姫前辺りから100mほど内宮寄りの所に建っている大鳥居を夜間に撮影した画像になります。大鳥居は鉄筋コンクリート製で夜間にはライトアップされております。

もう少し近づいた地点から撮影した画像です。高さは22、7m、幅は19mあり、とにかく大きいです。

この大鳥居は桑名郡多度町(たどちょう、現在の桑名市)にある勢濃工業株式会社社長・伊藤源一氏が伊勢市に寄贈したもので、平成5年(1993年)10月に建設され、総工費は3、3億円であったとされます。

大鳥居から少し内宮よりの所に太田小三郎君紀功碑(おおたこさぶろうくん きこうひ)があります。

太田小三郎君紀功碑の画像です。紀功碑は昭和9年に建てられ、昨年7月に看板などが整備されました。

太田小三郎は伊勢のまちの近代化に尽力した実業家で崇敬家でもありました。弘化2年(1845年)に豊前国・英彦山(ひこさん)の執当職の家に生まれ、明治5年(1872年)に古市の三大妓楼のひとつ備前屋の養嗣子になりました。

紀功碑の前にある案内看板の画像です。

備前屋の経営を立て直し、明治19年(1886年)には財団法人・神苑会(しんえんかい)を結成して神苑を整備・拡充し、倉田山の4万坪の土地を買収して徴古館・農業館などを建設しました。

神苑会は明治44年(1911年)12月に神宮周辺の整備が達成したとして解散しました。

また、太田小三郎は明治23年(1890年)に参宮鉄道を創立して現在のJR参宮線の基礎をつくり、明治27年(1894年)には山田銀行(大正8年に四日市銀行と合併し、昭和14年に三重銀行へ商号変更)を設立しました。明治29年(1896年)には秋田喜助らと共に宮川電気を創立して電燈・電車事業を開発し、後の三重合同電気に発展しました。

太田小三郎君紀功碑の右側には大岩芳逸翁碑(おおいわほういつおうひ)があります。

大岩芳逸は嘉永3年(1850年)に尾張国知多郡に生まれ、明治5年(1872年)に父親の跡を継いで伊勢一之木町に医師を開業しました。明治19年に太田小三郎らとともに神苑会を設立し、神苑会を脱会した後も宇治山田地域の発展に貢献し、御幸道路の開通に尽力しました。

御幸道路が開通する前の明治39年(1906年)に57歳で亡くなりましたが、大正9年(1920年)に生前の功績をたたえて顕彰碑がたてられました。

出典:伊勢古市参宮街道資料館ホームページ、wikipedia

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)