町並みの今昔 道路編

塩屋道① 二軒茶屋~古市 御塩道 伊勢電気鉄道 神都線

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前回ご紹介した二軒茶屋餅の角屋本店の前から南へ入る路地は御塩道(みしおみち)になります。二見浦の御塩殿神社で造られた堅塩を内宮・外宮まで運ぶ道のことを御塩道と言います。

内宮の御鎮座の後、倭姫命(やまとひめのみこと)が二見の地を訪れた際に土地の神である佐見都日女命(さみつひめのみこと)がお迎えし堅塩を献上したことにより、二見浦で内宮に納める御塩を生産することとなりました。その約500年後に外宮が御鎮座しましたので、内宮へは2000年来、外宮へは1500年来、ここを通り堅塩が運ばれてきました。現在では外宮へのみ運ばれています。

大正11年(1922年)5月に駸々堂旅行案内部から発行された「伊勢参宮案内地図」の古市付近を拡大した画像です。古市から二軒茶屋方面に向かう道に「塩屋道(しおやみち)」と記載がありますので、古市から二軒茶屋までの間は塩屋道と呼んでいたと推測されますので以後、塩屋道と表記します。

今回はかつての二軒茶屋から古市への塩屋道=「どんどこさん」が通った参宮道を辿ってみたいと思います。

角屋本店と船着き場の間にある二軒茶屋まちあるき図の看板の画像です。二軒茶屋は船参宮の上陸地点、二見浦から神宮参拝の外宮、内宮への分岐点として発展しました。

明治36年(1903年)に当時この地域の電力事業を行っていた宮川電気により本町ー二見間で電車の運行を開始し、二軒茶屋駅が開業しました。翌明治37年に伊勢電気鉄道に社名変更し、明治39年に古市口ー宇治間、中山ー二軒茶屋間を開業し二軒茶屋駅は内宮方面、外宮方面への分岐駅となりました。

昭和34年(1959年)に撮影された二軒茶屋ー二見間を走る電車の画像です。

大正11年(1922年)に三重合同電気、昭和5年(1930年)に合同電気、昭和12年(1937年)に東邦電力、昭和14年(1939年)に神都交通、昭和19年(1944年)に三重交通・神都線になりました。そして昭和36年(1961年)に廃線となっています。

角屋本店前を出発し、少し進んで振り返っての画像です。風情のある角屋さんの醸造所の建物です。画像下部の道路はかつての外宮~二見間の軌道跡になります。

二軒茶屋まちあるき案内図に加えた赤い矢印の辺りからの撮影になります。

軌道跡から100mほど南に進みますと御塩道が二股に別れます。右側が外宮へ向かう御塩道、真っ直ぐ進むと古市方面に向かう塩屋道になります。この二股地点が鉄道開通以前の交通の要衝になるのですね。現在ではほとんど車も通らない普通の細い路地です。

さらに100mほど進みますとJR参宮線の築堤が見えてきます。参宮線の山田駅(現在の伊勢市駅)鳥羽駅間は明治44年(1911年)に開業しました。

JR参宮線の高架の画像です。「けた下制限4,0M」の看板下がかつての伊勢電気鉄道(三重交通・神都線)の山中~二軒茶屋間の軌道跡になります。右側は塩屋道になりますが参宮線開通により軌道寄りに移設されたと思われます。

国土地理院の地理院タイルにある1961年~1969年に撮影された二軒茶屋付近の画像になります。

塩屋道②に続きます。

出典:大正11年 駸々堂旅行案内部発行 伊勢参宮案内地図、国土地理院 地理院タイル、wikipedia

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