町並みの今昔 道路編

塩屋道② 二軒茶屋~倉田山~古市 関西参宮鉄道案内記 参宮便覧

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前回の塩屋道①の続きになります。参宮線の高架から先は道が現存していない所も多いので古地図を参考にしてみたいと思います。

参宮鉄道の山田停車場(現在の伊勢市駅)が開業した翌年の明治31年(1898年)に執行猪太郎から発行された「関西参宮鉄道案内記」の表紙の画像です。関西鉄道(かんせいてつどう)は明治時代に存在した鉄道会社で、現在のJR関西本線、草津線、紀勢本線の亀山駅ー津駅間、片町線、桜井線などの前身になります。参宮鉄道(津駅ー山田駅)などと共に明治40年(1907年)に国有化されました。

関西参宮鉄道案内記に綴じ込まれている「宇治山田市街実測図」の現在の伊勢市中心部辺りを拡大した画像です。明治31年に発行されていますので、明治36年から明治39年にかけて開通した伊勢電気鉄道の軌道線、明治43年開通の御幸通り、明治44年開通の参宮線の山田停車場ー鳥羽停車場間もありません。

目印になるものが少ないので、塩屋道を赤色、御塩道の二軒茶屋付近を桃色、伊勢街道(古市街道)を青色で着色し、御幸通りを水色、県道22号線を黄緑色で、現在の主な施設名を★印で書き足してみました。

前回もご紹介したJR参宮線の高架の画像です。右側が二軒茶屋ー山中間の軌道線跡になり現在は市道神田久志本黒瀬線になっています。画像奥が二軒茶屋方面になります。

参宮線の高架から少し南に進んだ地点の画像です。画像の真ん中に見えるのが伊勢警察署になり、水田の中を貫いている道は明治31年時点には無く、明治39年ころに開通したと推測されるバイパス?になります。本来の塩屋道はここで左に折れます。

明治43年頃に宇治山田市参事会から発行された「参宮便覧」の裏面にある「三重県宇治山田市街新地図」の画像です。軌道線、御幸通りが追加され、開通予定の参宮線の山田駅ー鳥羽駅間が点線で描かれています。「宇治山田市街実測図」に比べてかなり大雑把な古地図になります。明治39年に二軒茶屋ー中山間の軌道線が開通したことにより塩屋道は線路を横切らずに真っ直ぐに水田を貫くように変更されたと推測されます。

左に折れると目の前の神田久志本黒瀬線の奥に小道がみえます。この小道が明治39年以前の塩屋道になります。

小道を60mほど進むと水路に突き当たり、その先は三重交通の伊勢営業所の敷地になっていて塩屋道は途切れてしまっています。

三交バスの敷地内を通っていた塩屋道は軌道線の山中駅跡付近にでます。ぎゅーとらラブリー神田久志本店の敷地内を通って倉田山に入っていきました。

国土地理院の地理院タイルにある1961年~1969年に撮影された倉田山北端付近の画像になります。まだ田畑ばかりで人家がほとんど見当たりませんね。

塩屋道③に続きます。

出典:明治31年 執行猪太郎発行 関西参宮鉄道案内記、宇治山田市参事会発行 参宮便覧、国土地理院の地理院タイル、wikipedia

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