町並みの今昔 旅館編

尾上町 旅館 十文字屋跡 勅使齋館 十五楼

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

明治29年(1896年)11月に小柳津篤太郎から発行された「神都土産繁昌記」に掲載されている旅館十文字屋の広告の画像です。今回はこの大正時代後期まで尾上町に存在した「旅館 十文字屋」をご紹介します。

十文字屋は十五楼ともいい、明治34年(1901年)12月に三谷敏一から発行された「神都名家集」によりますと「円融天皇の御字即ち慶安年間旅館業を開始せしより五百有余年間其業を継続し当地における同業者中の旧家として将に高等旅館として最も古くより遠近に知られたるものなり」とあります。円融天皇、慶安年間(1648年4月~1652年10月)は誤りだと思われ、後円融天皇の時代の応安年間(1368年3月~1375年3月)ですと五百有余年継続と辻褄が合います。

明治31年(1898年)10月に執行猪太郎から発行された「関西参宮鉄道案内記」に掲載されている「旅館 十文字屋」の広告の画像です。この画像には「十五」の紋章が見られますので、この頃から十五楼の銘も名乗りはじめたのでしょうか?

明治10年(1877年)に館主の黒部五平氏が亡くなりましたが、未亡人であった「かね子」は世渡りや世間付き合いに長じていて、業務に熟達するにつれて十文字屋は隆盛を極めました。

明治44年(1911年)12月に鈴木東京堂から発行された「宇治山田市及鳥羽町付近新地図」にある「旅館(勅使齋館)十五楼」の画像です。十文字は明治初年に勅使館に選定され、明治10年に更に勅使齋館に改定されました。明治33年(1900年)には巨額を投じて勅使齋館、御門ならびに齊戒場などを新設しました。

しかしながら大正時代に入ると俄然その勢いを落としたために、家運の挽回を図って倭町の御幸道路沿いに移転しました(伊勢の古市のあれこれ 51P)。

大正時代後期まで十文字屋があった場所は現在ではローソン伊勢尾上町店になっています。

ローソンの裏手に回ってみると、大きな石が積まれた庭園跡のような所もあります。もしかしたら十文字屋の名残かもしれませんね。

その辺りには石灯籠の残骸?のような石も転がっていました。

昭和4年(1929年)から昭和8年(1933年)に発行された絵はがき「望みと愛と信の家 神都希望館」の画像です。sadanai氏のホームページ「いにしえの伊勢」にある移転後の十五楼の絵はがきの画像と神都希望館の画像は一致しておりますので、この画像の建物は移転後の十五楼を転用したものになります。

神都希望館は昭和4年に開館しましたので、十五楼(十文字屋)は倭町への移転が返って仇となり、残念ながらそれまでに廃業したようです(伊勢古市のあれこれ p51)。

神都希望館は昭和8年に解散し、昭和12年(1937年)には天理教三重県教務支庁が設立されました。

出典:明治29年 小柳津篤太郎発行された 神都土産繁昌記、明治31年執行猪太郎発行 関西参宮鉄道案内記、明治34年 三谷敏一発行 神都名家集、明治44年 鈴木東京堂発行 宇治山田市及鳥羽町付近新地図、昭和51年 三重県郷土資料刊行会発行 野村可通著 伊勢の古市のあれこれ、sadanai氏ホームページ いにしえの伊勢

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)