町並みの今昔 旅館編

如雪園 神宮崇敬者参宿所 現・神宮会館

内宮の宇治橋から300mほどの御幸道路沿いの西側に神宮会館があります。神宮会館の敷地一帯には内宮禰宜・中川経高(なかがわ つねたか)の山荘がありました。その庭園は花の名所でもあり、雪が降る如く花が咲き乱れていたとのことから「如雪園(じょせつえん)」と呼ばれていました。如雪園が参宮者の休憩所として開拓されたのは大正9年(1920年)であり、大阪の篤志家・帯谷傳三郎(おびたに でんさぶろう)が25万円を投じてのものでした。

昭和11年(1936年)ころに如雪園が発行した絵はがきセットの畳紙(たとうがみ)です。表紙には中川経高が詠んだ「おもかげの雪こそ花の曙も月の夕べも名は世々にふれ」という歌が印刷されています。

畳紙には所在、面積、営造物、昭和10年度(1935年)の登園者統計なども印刷されております。高台から五十鈴川の清流、遠くには神路・島路の山々を望む絶景の地で神宮や神道に関する講演会や林間学校等も行われていたそうです。

セットのうち、正門の絵はがきです。

現在の様子です。神宮会館の一番北側になり駐車場の出口になっております。

絵はがきの右側にある自然岩でできた門柱は、現在でもほぼ同じ場所に建っています。

セットのうち、貴賓室の絵はがきです。

2019年9月撮影

現在もバラ園の休憩所として使われていますが、残念ながら訪問時は改修中でした。

セットのうち、休憩所の絵はがきです。休憩所の辺りには現在、神宮相撲場があります。

絵はがきセットに含まれていない、発行年不明の別の絵はがきです。御幸道路には路面電車の線路が見えます。

現在の様子です。敗戦後に設立された「伊勢神宮式年遷宮奉賛会」により昭和27年(1952年)に神宮崇敬者参宿所が建設され、昭和30年に神宮相撲場、昭和38年に神宮弓道場、昭和39年に大講堂、昭和48年に遷宮記念館(現在の西館)が建設されました。平成4年(1992年)に神宮会館本館が完成し現在の姿となりました。「伊勢神宮式年遷宮奉賛会」は数度の名称変更を経て「一般財団法人伊勢神宮崇敬会」となっております。

引用元:伊勢神宮崇敬会ホームページ、伊勢神宮崇敬会たより・みもすそ、昭和4年 宇治山田市役所発行 宇治山田市史 上巻、大正15年 敬神図書出版社発行 伊勢神宮誌

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