伊勢市中之町(なかのちょう)の古市街道沿いにある伊勢古市参宮街道資料館とその北隣にある寺村内科の現在の画像です。
今回は戦前まで寺村内科の場所にあった矢津屋旅館(やづや)をご紹介します。
昭和8年(1933年)から10年ころに発行された絵はがきセット「矢津屋旅館 全景」の画像です。
伊勢古市参宮街道資料館の説明文などによりますと、矢津屋旅館は江戸末期の創業だそうで、左側の建物が旅館で右側が経営者・花谷家の自宅だそうです。自宅の門の脇には「眺望絶佳 奥新館増築落成」と書かれた看板が立て掛けてあります。
昭和初期は大阪から参宮急行電鉄が、桑名から伊勢電気鉄道が山田(現在の伊勢市)まで乗り入れて伊勢参りに勢いがあり、旅館も繁栄していたことでしょう。
同じく絵はがきセットのうち「矢津屋旅館 新館階上広間」の画像です。画像に写っているだけでも20畳以上はあります。
同じく絵はがきセットのうち「矢津屋旅館 階上廊下 客室の一部」の画像です。
階上廊下を拡大した画像です。階上廊下にはおみやげの売店があり、人形や刀、自動車の模型などが売っています。現在とあまり変わらないですね。
絵はがきセットのうち「矢津屋旅館 浴場 洗面所」の画像です。当時としては最新の設備なのでしょう。
昭和7年(1932年)ころに発行された、絵画研究会印刷工芸社印刷の「神都旅館のしるべ」に掲載されている「聯盟旅館のしるべ」の画像です。当時の各旅館の客室数と畳数が記載されています。矢津屋旅館は客室数17で132畳でありました。
矢津屋旅館は昭和18年(1943年)に廃業し、その建物は志摩町片田の病院や昭和28年(1953年)10月に開業した大安旅館の二見支店の建造のために移設されて引き継がれたそうです。
寺村内科の画像です。この辺りの古市街道は丘陵の尾根にあり新館増築落成の看板には眺望絶佳とありましたので、矢津屋旅館は奥行きがあり麻吉旅館のような懸崖造り(けんがいづくり)の建物だったかもしれませんね。
出典:伊勢古市参宮街道資料館