今回は2020年に筋向橋の記事で少しご紹介したJR参宮線の山田上口駅(やまだかみぐちえき)を新たな画像の交えながらご紹介します。
明治44年(1911年)12月に鈴木東京堂から発行された「宇治山田市及鳥羽町付近新地図」の宇治山田市(現在の伊勢市)の中心部を拡大した画像です。画像の上が南になります。
さらに拡大した画像です。山田上口駅は明治30年(1897年)11月に参宮鉄道が宮川駅ー山田駅(現在の伊勢市駅)間を延伸したときに筋向橋駅(すじかいばしえき)として開設されました。
筋向橋は駅から約400m南にある宮川の支流・清川(きよかわ)にかかる橋で、江戸から伊勢までの距離は江戸の日本橋からこの筋向橋までの距離で算出され、江戸の日本橋、京都の三条大橋と並ぶ交通の要衝とされました。
ところが大正5年(1916年)11月に宇治山田市長より鉄道院総裁宛てに「筋向橋駅の駅名改称と通過列車廃止の請願」が提出され、大正6年(1917年)10月10日に山田上口駅に改称されました。理由は筋向橋が駅から約400mも離れた小橋で旅客が混乱し、駅名が読みにくいということでした。交通の要衝であった筋向橋は鉄道の開通により人流が無くなって交通の要衝ではなくなり、ただの小さい橋になってしまったということでしょう。
昭和44年(1969年)7月に撮影した山田上口駅の画像です。この駅舎は昭和5年(1930年)12月に竣工し、平成30年(2018年)12月に解体されました。
画像の右側にはバスが写っていて、当時は山田上口駅にも乗り入れていたようですね。
昭和58年(1983年)7月7日に撮影した山田上口駅の画像です。この年の12月21日に無人駅化されました。
昭和44年の画像と同じ角度で撮影した現在の山田上口駅の画像です。鉄道の駅があるのか分からないくらいです。
現在は平成31年(2019年)3月に竣工した椅子が3つだけのバス停のような小さな駅舎です。
駅前の通りは広く、中央分離帯には立派なクスノキの並木があります。このクスノキの並木は昭和28年(1953年)に植樹されました。
昭和27年(1952年)1月に産業振興会から発行された「宇治山田市街図」の山田上口駅付近を拡大した画像です。画像の上が北になります。
さらに拡大した画像です。戦後の復興、開発の真っ只中で駅前の大通りはまだ完成しておらず、計画段階のようですね。
撮影していたところ、ちょうど鳥羽行きの快速みえが通過して行きました。
出典:明治44年 鈴木東京堂発行 宇治山田市及鳥羽町付近新地図、昭和27年 産業振興会発行 宇治山田市街図、Wikipedia