昭和17年(1942年)8月に廃線となった伊勢電鉄→参宮急行電鉄→関西急行鉄道と変遷した路線跡の現在の姿をご紹介いたします。
昭和15年(1940年)7月、駸々堂旅行案内部発行の伊勢参宮案内図です。伊勢電鉄が参宮急行電鉄に吸収合併された後の図になりますので、路線名が「参宮急行電鉄伊勢線」になっております。
拡大図です。青い線が現在の南島線(県道22号線)であり、等観寺、梅香寺、法住院、玄忠寺等が今でも同じ場所にあります。
大神宮前駅から宮川(松阪方面)を撮影した画像です。大神宮前駅跡から常磐町駅跡→山田西口駅跡→宮川堤駅跡と辿ってみます。現在は二つのトンネルを含め、一般の道路として利用されています。
500mほど西に進みますと道路の幅が広くなったところがあり、宇治山田高校前バス停あります。この場所に「常磐町駅」があったと思われます。
さらに西に進みますと、一つめのトンネル「天神丘トンネル」があります。
天神丘トンネルを抜けて、振り返り松阪方面から撮影。
天神丘トンネルを抜けると右側に西口公園があり、この辺りに山田西口駅があったと思われます。公園の道路を挟んだ反対側の民家に駅標を模した看板が掲げられています。
その先には二つめのトンネル「秋葉山トンネル」があります。
秋葉山トンネルを抜けて、振り返り松阪方面から撮影。
秋葉山トンネルを抜けると、南島線との論出(ろんで)の交差点があり、この辺りに宮川堤駅があったと思われます。
T字交差点を過ぎた宮川側には橋台の一部と思われる、コンクリート製の遺構があります。一つ前の画像の赤信号の下辺りになります。
その先は宮川になります。宮川堤駅跡側から川端側(松阪方面)を撮影。
昭和6年から昭和8年ころに絵画研究会から発行された絵はがきセットにある「近代的力学応用の伊勢電、宮川鉄橋」の画像です。川端側からの撮影だと思われます。
発行所不明の絵はがき「伊勢名所 伊勢電車宮川鉄橋」の画像です。画像右奥に朝熊山が見えますので川端側からの撮影になります。
筆者が子供のころ宮川の中に橋脚だけは残っていた記憶があります。平成8年(1996年)株式会社郷土出版発行の伊勢電・近鉄の80年によりますと昭和55年(1980年)に橋脚は撤去されました。
地理院タイルにある1961年から1969年の間に撮影された伊勢電鉄橋跡の画像です。川の中に橋脚だけが残されています。(2021年11月 画像追加)
昭和6年(1931年)5月に有文堂書店から発行された「神都 宇治山田市街地図」の画像になります。冒頭の伊勢参宮案内図よりこちらの地図のほうが伊勢電鉄の線路の位置が正確に記されています。
出典:昭和61年 国書刊行会発行 ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 伊勢小俣二見、平成8年 株式会社郷土出版発行 伊勢電・近鉄の80年、国土地理院 地理院タイル