町並みの今昔 鉄道編

国鉄参宮線 宮川鉄橋 蒸気機関車 SL C57 D51 玉城町 C58414

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以前に明治・大正時代の宮川鉄橋を通過する蒸気機関車を撮影した画像を交え、参宮鉄道 JR参宮線・宮川駅 宮川鉄橋をご紹介しましたが、今回は昭和時代の宮川鉄橋の画像をご紹介します。

参宮線から蒸気機関車が廃止される直前の昭和46年(1971年)から昭和48年(1973年)ころに撮影されたD51が牽引する宮川鉄橋を通過中の貨物列車の画像です。画像の奥が伊勢市駅方面でタンクなどは横浜ゴムの施設です。

参宮線は参宮鉄道により明治26年(1893年)に津駅から宮川駅間が開業し、明治30年(1897年)に宮川駅から山田駅(現在の伊勢市駅)間が開業しました。明治40年(1907年)に国有化され、昭和24年(1949年)に日本国有鉄道(国鉄)となりました。

国鉄の路線は昭和33年(1958年)当時でも約9割近くは電化されておらず、非電化区間の主力は蒸気機関車でありました。しかし蒸気機関車は大量の石炭を消費し燃費が悪く、給炭と給水を必要とするなど長距離運転には不向きで、さらに大量の煤煙を発生させるため安全性、快適性においても他の動力車に対して劣っていたため廃止(無煙化)されることとなり、昭和48年7月に参宮線は無煙化されました。

令和3年1月15日撮影

宮川鉄橋を通過する快速みえの画像です。列車の右に横浜ゴムの施設が見えます。

令和3年1月15日撮影

もう少し進行してきた画像ですが、桜の木と被ってしまいました。

昭和46年から昭和48年ころに撮影されたC57が客車を牽引する画像です。画像の奥が宮川駅方面で白い建物は小野田セメントの施設になります。小野田セメントの専用線は昭和46年に設置され、昭和61年(1986年)4月に廃止されました。

翌、昭和62年4月に国鉄は分割民営化され、参宮線はJR東海に継承されました。

令和3年1月15日撮影

同じ角度で撮影したつもりの現在の画像です。

伊勢市の隣り、玉城町の田丸城跡に実物の蒸気機関車C58 414が展示されており、間近で見ることができます。玉城町役場の前に村山龍平記念館があり、その隣りになります。

すぐ近くで見ると大迫力で動輪と呼ばれる駆動力を発生させる車輪の直径は152cmもあります。

C58 414は昭和22年(1947年)に大阪で製造され、北海道苗穂機関区(なえぼきかんく)に配属されました。函館線や千歳線で使用されましたが昭和48年4月に用途廃止となり、亀山機関区経由で多気駅まで牽引回送され、同年8月29日深夜に多気駅と田丸駅の中間地点でトレーラーに載せ換えて陸送し、9月1日に現在の場所に設置されました。

C58 414は27年間で130万1400Km余り走行したそうで、地球を約32.5周したことになります。

メートル法は1kmを地球の北極点から赤道までの子午線弧の長さの「1万分の1」と定義していますので、地球1周は4倍の4万kmになります(実際にはやや誤差があります)。覚えやすいですね。

出典:ホームページ 時の鉄路  国鉄末期の紀勢・参宮線貨物列車、ブログ にしみやうしろ仮駅 小野田セメント伊勢SS専用線(参宮線宮川駅)、wikipedia

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