5月7日に訪問してきました田丸城(たまるじょう)をご紹介します。所在地は伊勢市の西隣、度会郡玉城町(わたらいぐん たまきちょう)にあり、大手門を入り左側に玉城町役場がありますので、こちらを目指せばたどり着きます。現在の伊勢市もかつては度会郡に属しておりました。
田丸城は南北朝時代に南朝方の拠点として北畠親房(きたばたけ ちかふさ)、北畠顕信(きたばたけ あきのぶ)によって築かれたといわれています。戦国時代には織田信長の伊勢侵攻により、北畠具教(きたばたけ とものり)の養嗣子となった信長の次男・織田信雄の居城となった。江戸時代には徳川御三家のひとつ紀州徳川家の治める紀州藩の所領として久野氏が城主を務めました。
大手門跡です。門を過ぎると、左側に玉城町役場、右側に村山龍平記念館があります。
二ノ門跡です。
田丸城略史の看板。
田丸城廓之図。
二之門跡の左側には内堀があり、立派な石垣がそびえています。三之丸跡には玉城中学校がありますので、二之門跡から本丸虎口跡までは車で移動されるほうがよいと思います。
本丸虎口跡です。この虎口跡の手前まで車で来れ、5台分の駐車スペースがあります。虎口跡左側に公衆トイレもあります。
虎口跡を入ると、敵の侵入を防ぐための櫓跡の石垣が二重三重に連なります。一番奥に見える石垣が本丸跡の石垣です。
本丸跡。
本丸跡を西側から。
そして本丸跡の上にある天守跡です。織田信雄時代の天正三年(1575)に改築され三層の天守閣があったそうです。
二之丸跡を南側から。
二之丸跡から本丸跡を撮影。
明治維新により田丸城の建造物はほとんどが取り壊されましたが、天守台や石垣、外堀、内堀などの遺構は今も整備されて残されており、往時の面影を偲ばせます。
出典:wikipedia