昭和5年(1930年)10月から昭和6年3月ころに山田駅前通旅館連盟組合から発行されたパンフレット「参宮案内」の画像です。汽車発着時刻表に昭和5年10月1日改正と記載されていて、宇治山田市略図にまだ参宮急行電鉄(現在の近鉄)の線路は描かれてません。
「参宮案内」にある山田駅前図(現在の伊勢市駅)の画像です。今回は外宮参道の外宮寄りにあったこの宮前館(宮崎館⇒宮前館⇒朝日館⇒三菱FUJ銀行伊勢支店)をご紹介します。
大正中期以降に発行された絵はがき「伊勢山田外宮前 旅館宮崎館」の画像です。
開業時期は不明なのですが、大正3年(1914年)にはこの場所に旅館宮崎館がありました。大正11年(1922年)に三重県勧業協会から発行された「三重県商工案内」の旅人宿の項には「旅人宿 宮崎屋 豊川町 間宮清吉」と記載されています。
右隣りは旅館竹屋で現在の山田館のある場所になります。
sadanai氏ホームページ 「いにしえの伊勢」よりお借りした「伊勢山田外宮前三階楼宮崎館」の画像です。
最初2階建てだった建物は3階楼に増築されました。634番の電話番号は昭和2年頃までは宮崎館が使用していたそうです(出典:新古写真で巡る伊勢散歩 その1)。その後、建物は同じですが昭和5年(1935年)頃までには宮前館となりました。
昭和10年頃以降に宮前館から発行されたパンフレット「参宮御案内」の画像です。このときの宮前館は敬神普及参宮奨勧をする伊勢敬斎会という団体の本部になっていたようです。
参宮御案内の建物の画像を拡大してみました。新築落成となっていますが元の三階楼を改装していると思われます。
昭和10年頃以降に発行された3枚組絵はがきセット「宮前館」の畳紙の画像です。この畳紙にも伊勢敬斎会本部と記載されています。
3枚組絵はがきセット「宮前館」のうち本館全景を含む絵はがきの画像です。この左右非対称の構造は2階建て時代の宮崎館がベースになっているように見えます。
3枚組絵はがきセット「宮前館」のうち応接室の一部を含む絵はがきの画像です。
この絵はがきセットは絵画工芸印刷社が印刷していますが、この頃に同社が印刷した旅館の絵はがきセットは1枚に色々な形にカットした複数の画像を載せているのが特徴です。
3枚組絵はがきセット「宮前館」のうち座敷の一部を含む絵はがきの画像です。
伊勢河崎商人館を目指して歩く①でもご紹介した、昭和34年(1959年)6月に撮影された朝日館(戦前は宮前館)前の画像です。
昭和20年頃に建物はそのままで宮前館は朝日館に屋号を変更しています。生姜糖の西尾商店、大和館を挟んだ3件外宮寄り(現在の伊勢せきや本店の場所)にあった朝日館がこちらに移転してきました。画像にある路面電車(三重交通神都線)は昭和36年(1961年)1月に廃線になっています。
その後、朝日館のあった場所には三菱UFJ銀行伊勢支店がありましたが、今年の3月に津支店内に移転して現在は空きビルとなっています。右隣りにある三階楼の山田館さんは現在でも営業されています。
山田館さんのホームページ内にある山田の歴史によりますと昭和40年代にはいると周辺の観光地(鳥羽や賢島など)に大規模なホテル・旅館がたくさん開業し、伊勢市内にあった老舗旅館が次々と廃業したそうです。このころに朝日館も廃業したと思われます。
7月9日に撮影した山田館さんの画像です。
出典:sadanai氏ホームページ いにしえの伊勢、秋田耕司氏ホームページ 伊勢探訪記 新古写真で巡る伊勢散歩 その1、山田館ホームページ 山田の歴史、大正3年 実業興信所発行 宇治山田商工人名録、大正11年 三重県勧業協会発行 三重県商工案内