町並みの今昔 旅館編

山田駅前(現在の伊勢市駅前)の変遷① 伊勢行幸 伊勢行啓 奉迎門 明治時代

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油屋支店高千穂館支店松島館支店などの記事で何度も山田駅前の画像をご紹介してきましたが、撮影時期により旅館の建物が3階楼になっていたり商品陳列所ができていたりと変遷を繰り返しています。そこで今回、手元にある撮影時期が確認できる画像、奉祝門・奉祝門の設置してある「山田駅前」の画像などを元に建物の変化などを判り易いように整理してみたいと思います。

●明治30年(1897年)11月11日、山田駅開業。

●明治32年(1899年)、県道として外宮参道が竣工。この頃駅前に有力旅館の支店が立ち並んだと思われます。

●明治38年(1905年)8月4日、伊勢電気鉄道(路面電車)が山田駅前まで延伸。

伊勢行幸写真帳 第38集より

●明治38年11月、明治天皇が4回目の伊勢行幸されるときに山田駅前に建てられた奉迎門の画像です。9月5日にポーツマス条約(日露講和条約)が調印され日露戦争が終結し、その報告のための神宮参拝に合わせて建てられた奉迎門になります。門はフランスの凱旋門の形をしており、杉の葉で覆われ菊の花と数百の紅白電燈で飾られていて高さは9m余りありました。門の奥に見えるのが宇仁館支店の建物になります。

行幸(ぎょうこう)とは天皇が外出されることで、行啓(ぎょうけい)とは皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃が外出されることを云います。

伊勢行幸写真帳 第38集より

●明治38年11月15日に連合艦隊の諸将が山田駅に到着したときの画像です。外宮へのご参拝は16日、内宮へのご参拝は17日でした。左側手前が神風館支店、その次が宇仁館支店になり、右側には高千穂館の看板が見えます。

●明治41年 田中中世古町(たなかなかせこまち)から本町(ほんまち)に改称。

●明治44年(1911年)5月、皇后陛下が伊勢行啓されるときに建てられた奉迎門のある絵はがき「伊勢 山田驛前ノ本町」の画像です。タイトルに改称された「本町」の名称が使われております。このときの奉迎門は丸い形をしております。

皇后陛下伊勢行啓図絵より

●明治44年(1911年)5月19日に皇后陛下が山田駅に御到着されたときの画像です。左側にある洋風の白く見える建物は伊勢朝報社の社屋で、右側の中村屋旅館はまだ2階建てです。

皇后陛下伊勢行啓図絵より

●明治44年(1911年)5月22日に皇后陛下が御還啓される直前の画像です。

皇后陛下伊勢行啓図絵より

●明治44年(1911年)5月22日以降の皇后陛下が御還啓された後の山田駅前の画像です。「伊勢 山田驛前ノ本町」の絵はがきの画像と電車が写っていないだけで雰囲気がよく似ています。

山田駅前(現在の伊勢市駅前)の変遷②に続きます。

出典:明治38年 博文館発行 伊勢行幸写真帳 第38集、明治44年 東陽堂発行 風俗画報421号 皇后陛下伊勢行啓図絵、wikipedia

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