大正7年(1918年)8月14日付けのスタンプ印がある「山田停車場前通(現在の伊勢市駅前通)」の絵はがきです。明治30年(1897年)に参宮鉄道(国鉄を経て現在のJR)が山田駅(山田停車場)を開業したのを機に宇治山田町内(明治39年より宇治山田市、昭和30年より伊勢市)の有力な旅館が駅前に支店を出しました。左側1軒目は油屋支店、左側2軒目は高千穂館支店となり、右側1軒目は宇仁館支店、右側2軒目は神風館支店、そして右側3軒目が今回ご紹介する松島館の支店となります。
現在の伊勢市駅前です。戦前よりも駅前広場・道路が拡張されておりますので、油屋支店、宇仁館支店があった場所は現在の道路上から駅前広場にもかかっていたと思われます。
伊勢市駅前の信号を渡り、右側にある伊勢百貨店・五豊美(ごほうび)さんの辺りに松島館支店がありました。
発行年不明(昭和9年以前)の「伊勢山田駅前 松島館」の絵はがきです。
2階部分にある看板には「旧御師 車館太夫 幸田源内太夫」と書かれています。車館大夫(くるまだちだゆう)は内宮の御師で荒祭宮内人(うちんど)であり、会合年寄を兼ね政務に関係しておりました。上野国(現在の群馬県)、常陸国・下総国相馬郡(現在の茨城県)を中心に4万5千体余りのお札を配布していたそうです。車館大夫邸は文久年間(1861年~1864年)には、おはらい町の赤福本店の横にある新橋を渡った右側辺りにあったようです。
幸田源内大夫(こうだげんないだゆう)は外宮の御師で年寄格であり、宮掌大内人(くじょうおおうちんど)と月夜見宮守見物忌(もりみものいみ)を兼ね、三河国(現在の愛知県東部)、遠江(現在の静岡県西部)を中心に1万8千体余りのお札を配布しておりました。
どのような経緯で松島館が車館太夫と幸田源内太夫の御師銘を掲げていたのかは不明ですが、御師制度が廃止されて数十年経過しても旧御師株を買い取り?看板を掲げることによりその御師の旧檀家を取り込めたのだと思われます。
昭和13年(1938年)元旦に配達された松島館発行の年賀状の画像です。御師銘が掲げられた画像の建物と形が違いますが、道路には線路が見えるので山田駅前の松島館になります。昭和9年(1934年)2月に南隣りの宇仁館別館・藤屋が全焼する火事があり、北隣りの宇仁館本店も半焼したそうですので松島館も全焼もしくは半焼し、建て替えられたのだと思われます。
年賀状の画像にある建物も昭和20年の戦災により焼失しました。その後、再建し営業を再開したかは不明です。昭和30年頃には松島館跡には藤原物産店がありました。昭和48年(1973年)に「ジャスコ伊勢店B館」の一部となり、そのB館も平成8年(1996年)に閉館されました。平成14年(2002年)頃に建物が解体され、長らく更地でしたが平成25年(2013年)に現在の状態になりました。
明治43年(1910年)に尾上町から二見浦に移転した松嶋館本店は、平成29年(2017年)3月で閉館・廃業となり、江戸時代の文化(1804年~1818年)以前より続いた老舗旅館はその歴史に幕を閉じました。※二見浦の松嶋館は「嶋」の字が使われていました。
出典:昭和55年 皇学館大学出版部発行 神宮御師資料 内宮篇、昭和59年 皇学館大学出版部発行 神宮御師資料 外宮篇二、昭和61年国書刊行会発行 ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 伊勢二見小俣、二見町旅館組合ホームページ、wikipedia
はじめまして。私の旧姓は「車館」と申します。伊勢神宮内宮からほど近くの墓地に、ご先祖様が眠っておられます。赤福本店の隣にご先祖様の家があったこと、赤福の社長さんから年賀状が届いていたこと、また写真なども残っていることを両親から聞いておりました。この度、墓じまいをきっかけにご先祖様が「御師」であったであろう・・・ことを知りました。その流れで検索してみたところ、こちらのサイトに辿り着きました次第です。興味深く拝見しました。大変貴重な情報をありがとうございます。このような情報を得られる資料館などはありますでしょうか?是非一度足を運びたいと思っております。
また、丸六大夫さんのタクシーに乗るためにはどちらに伺ったら良いでしょうか?
はじめまして。コメントありがとうございます。
伊勢に唯一残る旧御師・丸岡宗太夫邸がまちかど博物館として公開されております。是非問い合わせてみてください。
情報ありがとうございました。早速問い合わせてみようと思います。