伊勢街道(別名:伊勢古市参宮街道)を外宮方面から内宮方面に進みますと途中、勢田川(せたがわ)に架かる小田橋(おだのはし)があります。小田橋を渡りますと尾上町(おのえちょう)に入ります。
明治30年(1897年)古川小三郎発行の「伊勢参宮案内」に記載されている「小田の橋」・「尾上町」・「間の山(あいのやま)」の説明文の画像です。尾上町の説明文の中に「三階造りの松島館あり」とあります。
尾上町に入り、ローソン伊勢尾上町店を過ぎ、しばらく進みますと尾上町のバス停があります。バス停の横にあるのは寿巌院の入口の門柱になり、中川竫梵(なかがわ ただもと)著「伊勢古市の文学と歴史」によりますと入口の右側の広場の辺りには「東海道中膝栗毛」の中で弥次さん喜多さんが宿泊した藤屋がありました。
尾上町のバス停から30mほど進んだ右側のこの辺りに「参宮ホテル 松島館」がありました。場所の特定は藤屋と同じく伊勢古市の文学と歴史が参考になり、現在も存在する霜世古という細い路地の右側2軒目の辺りになります。
松島館は山田駅(現在の伊勢市駅)が開業した明治30年(1897年)頃に駅前に支店を出し、二見浦駅(ふたみのうらえき)が開業する前年の明治43年(1910年)に尾上町の本店は二見浦に移転しました。
本店が尾上町にあった時期(明治30年頃~明治43年頃)発行の印刷物です。説明文には弊館は従来より各道中の旅館と気脈を通せず独立厳格なる真相実業の旅館を以て・・・とあり、御注意の項には弊館の独立を嫉み善悪を申立て己が宿へ誘導する者有・・・と書かれております。当時はライバル店の誹謗中傷をして宿泊客を誘導する「宿引(やどひき)」行為が行われていたと思われます。
明治16年改正 松嶌屋善三郎発行の一新講社の表紙の画像です。
一新講社の2ページ目の画像です。松島館は明治中頃までは一新講社に加盟していましたが、何らかの事情により独立して独自に集客していったものと思われます。外宮前に「宇仁たち太郎」と記載されているのが興味深いですね。「宇仁館(うにかん)」の前身の旅館だと思われます。
明治40年(1907年)参宮鉄道株式会社運輸係発行の「参宮案内」にある松島館の広告ページの画像です。
古川小三郎発行の「伊勢参宮案内」にあります広告ページの画像です。説明文の中に「本館が秘蔵せる瑞木」は「天然に大神宮の三字其中に顕出する」とあり、人工的で無く大神宮という文字が読み取れる不思議な木を秘蔵していたようですね。
次回、松島館②で山田駅前(現伊勢市駅前)にあった支店を紹介したいと思います。
出典:明治30年 古川小三郎発行 伊勢参宮案内、明治40年 参宮鉄道株式会社運輸係発行 参宮案内、昭和56年 古川書店発行 中川竫梵著 伊勢古市の文学と歴史、二見町旅館組合ホームページ