2019年5月に三日市大夫次郎邸跡①、三日市大夫次郎邸跡②という記事を書きましたが、その後に入手した資料などを含めまして改めてご紹介したいと思います。
三日市氏の本性は橘(たちばな)氏で、建武年間(1334~1336年)に橘秀末が度会郡黒瀬村(現在の伊勢市黒瀬町)から三日市場(現在の岩淵町)へ移住し、三日市氏を称したと云われています。応永年間(1394~1427年)の資料に三日市大夫次郎秀延の名称が見られ、三日市家初代とされています。
「寛永中山田郷内惣図」《寛永年間(1624~1644年)に現在の伊勢市街を描いた古地図》の写しの写しの外宮前辺りを拡大した画像です。外宮との位置関係、描かれている川の形状などから「三日市帯刀(たてわき)」の場所が三日市大夫次郎邸になり、三日市帯刀は名字+官職名、三日市大夫次郎は御祓名(御師銘)になります。
東隣りが「三日市兵部(ひょうぶ)」になり、現在でも伊勢市役所北側に土塀が遺されています。三日市兵部大夫は埼玉県、群馬県を中心に檀家を持ち、10万1,000体余りのお札を配布していました。
古地図上に現在の道路を追加してみました。外宮参道は明治32年(1899年)に開通し、御幸道路(別名:御成道)の外宮前部分は明治40年(1907年、全線開通は明治43年)に開通し、このときに三日市大夫次郎邸は南北に分断されました。ピンク色の線は開通直後の御幸道路になり、現在の外宮前バス停付近は道路が付け替えられています。
安永6年(1777年)の「安永六年外宮師職諸国旦方家数改覚」によりますと三日市大夫次郎の檀家数は35万3千余りになり、外宮を代表する御師となっていました。檀家は公家の植松家などを筆頭に北海道全域・東北地方・群馬県を中心に広範囲にわたっていました。36代・三日市大夫次郎秀氏(ひでうじ 文政3年:1820年生まれ)氏のときの明治4年(1871年)に御師制度は廃止となりました。
明治17年(1884年)に旧御師・龍大夫(りゅうだゆう)とともに参宮者の便宜を図る(参宮者を囲い込む)ために諸街道の旅館と提携する「御師講社」を設立し、屋敷を「参宮参籠所(さんろうじょ)」として旅館業を続けます。
尊皇教会から発行された尊皇教会の特別会員証の画像です。明治33年(1900年)6月には「尊皇教会」を設立し、三日市大夫次郎邸に本部を置きました。信用を得るために会長には子爵・慈光寺恭仲(じこうじ やすなか 文久3年:1863年生まれ)を迎え、三日市大夫次郎自身は敬神愛国指導者という立場になりました。
御師廃止から30年近く経ち旧御師と旧檀家の関係が希薄になってきたこと、明治30年(1897年)に参宮鉄道・山田駅(現・伊勢市駅)が開業し、駅前に宇仁館支店、松島館支店、油屋支店、高千穂館支店など立派な旅館が建ち並んだことで檀家離れが更に進んだと思われ、それを防ぐために旧檀家を尊皇教会に再編しようとしたと思われます。
特別会員証の裏面の画像です。入会日が明治37年2月6日でその横に明治42年1月22日失権?と付け加えられておりますので、会員の資格を失ったようです。もしかしたらこの時期に尊皇教会が解散したのかもしれません。
明治40年(1907年)5月に参宮鉄道株式会社運輸係から発行された「参宮案内」に掲載されている三日市大夫次郎の広告の画像です。肩書きが尊皇教会本部になっております。
明治42年(1809年)に三日市大夫次郎が発行した「御師講社」の表紙の画像です。
裏表紙にある口述の画像です。
六軒からおばたのページの画像です。ページの上部には簡単な地図が描かれています。
山田外宮のページの画像です。南北に分断後に発行されたものなので、真ん中に「外宮前(南側)旧御師 本家三日市大夫次郎」、左側に「御成道(北側)三日市旅館」に書かれています。注目すべきは右側に書かれている「停車場前左かわ 三日市支店」です。ごく短い期間だけ営業していたと思われますが、他の資料には全く登場せず場所も特定できません。
肩書きが旧御師になっていますので、明治42年1月の尊皇教会解散は可能性が高いかもしれません。
三日市大夫次郎邸跡①でもご紹介した明治45年(1912年)発行の御師講社の表紙の画像です。御師廃止後も旧檀家を繋ぎ止めるために御師講社の設立、尊皇教会の設立など策を施しましたが時代の流れに逆らえずに、この御師講社を発行した直後に本家三日市大夫次郎、三日市旅館共に宇仁館・西田氏に売却することとなりました。
出典:明治34年 三谷敏一著 神都名家集、大正元年 神都興信所 宇治山田商工人名録 明治45年7月1日現在、昭和60年 皇學館大学出版部発行 神宮御師資料 外宮篇三、昭和61年 皇學館大学出版部発行 神宮御師資料 外宮篇四、平成10年 株式会社大林組広報室 季刊大林 御師、平成29年 谷口裕信 御師廃止後の旧御師と参宮者の関係性再構築ー埼玉県を事例として②ー、wikipedia