御師

御師 三日市大夫次郎 ②

三日市大夫次郎邸は明治40年(1907年)に御幸道路の開通の開通により南北に分断されました。御幸道路は明治40年6月に用地買収を開始し、着工は同年9月であり、明治43年3月に開通しました。

明治41年2月、西岡彌太郎発行の「宇治山田市全図」です。当時の路面電車も外宮前~古市口が開通しておりません(明治42年10月開通)し、この部分の御幸道路もありません。

大正11年(1922年)5月、大淵善吉発行の「伊勢参宮案内地図」では路面電車も御幸道路も開通しております。赤い字で「三日市太夫」の文字もしっかり記載されております。

大正15年(1926年)5月、敬神図書出版社発行の伊勢神宮誌の旅館の項、主たる旅館名の外宮前に「三日市太夫」の名があります。内宮前の大橋館は名前がありますが、外宮前に大橋館の名前はありません。大橋館の東隣にあった神風館は名前が載っています。南北に分断後の経緯は要調査ですね。

昭和6年(1931年)~昭和8年(1933年)ころに発行されたと思われる「神都」というパンフレットです。発行年、発行所は記載されて無いのですが、宇仁館系列の旅館の一覧が載っておりますので、宇仁館が発行したものと思われます。

略図ですので、黒い丸が不正確な位置にありますが、三日市旅館、大橋館、神風館の名前があります。この頃には三つの旅館とも宇仁館の別館となっておりますので、宇仁館に買収されたのでしょうか?当時の宇仁館は次々と旅館を買収し、かなりの勢いがあったと思われます。

パンフレットにある別館大橋館の写真です。

別館神風館の写真です。残念ながら三日市旅館の写真は載っていません。

こちらは、同じころに発行されたと思われる山田ホテル宇仁館というパンフレットの鳥瞰図になりますが、こちらにも三つの旅館が宇仁館別館として記載されております。

昭和20年(1945年)7月の宇治山田空襲により三日市旅館は焼失してしまったそうです。

引用元:wikipedia、伊勢市立伊勢古市参宮街道資料館ホームページ、昭和61年8月、国書刊行会発行「ふるさとの思い出 写真集 明治大正昭和 伊勢二見小俣」

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