御師

御師 三日市大夫次郎邸跡② 宇仁館別館 三日市旅館・大橋館 

三日市大夫次郎邸①の続きになります。

三日市兵部邸跡にある説明看板にある外観写真を拡大した画像です。

三日市大夫次郎邸は明治40年(1907年)の御幸道路の工事着工により南北に分断され、北側は三日市旅館、南側は本家三日市大夫次郎となりました。そして明治45年(1912年)7月には宇仁館・西田氏に買収されました。

明治41年(1908年)2月、西岡彌太郎発行の「宇治山田市全図」です。当時の路面電車も本町~外宮前~古市口が開通しておりませんし(明治42年10月開通)、外宮前~古市口の御幸道路も記載されておりません。

大正11年(1922年)5月、大淵善吉発行の「伊勢参宮案内地図」では路面電車も御幸道路も開通しております。赤い字で「三日市太夫」の文字が記載されております。

大正15年(1926年)5月、敬神図書出版社発行の伊勢神宮誌の旅館の項、主たる旅館名の外宮前に「三日市太夫」の名があります。

昭和7年(1932年)3月24日に伊勢朝報から発行された「伊勢参宮案内」に掲載されている宇仁館の広告の画像です。この頃になると駅前の宇仁館が本店になり、岡本町の本店が神風館に改称しています。この広告にはなぜか三日市大夫次郎邸を転用した旅館の記載がありません。

昭和10年(1935年)以降に宇仁館から発行された「神都」の表紙の画像です。

「神都」の表紙裏に掲載されている地図の画像です。この頃になると内宮前・大橋館が宇仁館グループに買収され、對泉閣(たいせんかく)に改称し、三日市大夫邸の南側が大橋館の旅館銘を継いでいます。

パンフレットにある別館大橋館の画像です。建物前が御幸道路になります。

別館神風館の画像です。この画像の建物は元々、岡本町(おかもとちょう)の宇仁館本店だった建物です。

こちらは、同じころに発行されたと思われる山田ホテル宇仁館というパンフレットの鳥瞰図になります。

昭和20年(1945年)7月の宇治山田空襲により三日市旅館は焼失してしまったそうです。

出典:大正元年 神都興信所 宇治山田商工人名録 明治45年7月1日現在、伊勢市立伊勢古市参宮街道資料館ホームページ、昭和61年8月、国書刊行会発行 ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 伊勢二見小俣、wikipedia

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