今回から2回にわたり、旧御師・龍大夫(りゅうだゆう)をご紹介します。龍大夫は外宮の御師で山田三方(やまださんぽう)の年寄家でありました。山田(外宮の鳥居前町、現在の伊勢市中心部)の大世古町(おおぜこちょう)に1,680坪の広大な土地に建物群を構え、1日に700人から800人の旅客を収容できたそうです。岩淵町の三日市大夫次郎と並び、最有力の御師でありました。
龍家は元々、宮川左岸の松倉村(現在の伊勢市小俣町宮前・松倉地区)に住んでいて、龍の社という鎮守を祀っていたことから「龍」を家名にしたと伝えられています。
龍大夫邸跡への道順は、外宮の北御門を出て南島線の信号まで進み、左折をしてNTT伊勢志摩ビル前を通り過ぎファミリーマート伊勢外宮西店のある信号の右側の路地にはいります。
この路地が大世古(おおせこ、町名はおおぜこ)の入口になります。浄土宗の大道場と云われた寺院への道で大道場世古と称されていたのが、略されて大世古になったと云われています。
大世古に入り、100mほど進みますと、右側に大豊和紙工業(たいほうわしこうぎょう)さんがあり、神宮御用紙(ごようし)を奉製しております。御用紙はお札やお守り・暦などに用いられております。
この大豊和紙工業さんのある場所が、嘗ての龍大夫邸であります。
伊勢和紙館の道路沿い中央付近には「御師 龍大夫跡」の石標が建っております。
龍大夫は武蔵国と下総国に主な配札地域を持っていて、葛飾郡・足立郡・埼玉郡(以上武蔵国)、葛飾郡・香取郡・印旛郡・相馬郡・千葉郡・猿島郡(以上下総国)など現在の埼玉・茨城・千葉県に跨がる利根川流域と、多摩郡・橘樹郡・荏原郡・都筑郡など現在の東京都から神奈川県に跨がる地域になり、配札数は18万6千体にのぼりました。
敷地の一番北側にある伊勢和紙ギャラリーの建物です。残念ながらこれらの建物は御師・龍大夫時代のものではありません。
明治4年(1871年)に御師制度が廃止された後も龍大夫は旅館業を続け、明治6年(1873年)3月15日から5月15日には龍大夫の敷地と建物を利用して度会県庁・神宮司庁の合同主催で博覧会が開かれ、明治2年(1869年)に行われた第55回式年遷宮の撤下品の御神宝や種々の物品や珍品が陳列されたそうです。
敷地の奥の方にある明治天皇行在所と刻まれた石碑の画像です。
明治13年(1880年)7月の明治天皇の行幸(ぎょうこう)の際には龍大夫邸が2日間に渡って行在所(あんざいしょ)となりました。
明治天皇行在所の少し左側にある「龍の井」と呼ばれる井戸の画像です。龍大夫時代に使われ、大豊和紙さん時代になっても紙つくりに使われているそうです。
敷地の南側や東側には少し剥がれている部分もありますが、立派な土塀が残されております。
御師 龍大夫邸跡②に続きます。
出典:大豐和紙工業株式会社ホームページ 伊勢和紙、平成31年 水野逸夫 廃止後の伊勢御師、作者不明 山田の世古、昭和61年 国書刊行会発行 ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 伊勢小俣二見