今回は嘗て外宮神苑前に明治40年(1907年)ころから大正8年(1919年)ころだけ存在した宇仁館分店跡を宇仁館の変遷などをお復習いをしながらご紹介します。
宇仁館(うにかん)は明治4年(1871年)の御師制度廃止後すぐにに旧御師・宇仁館太郎(うにたちたろう)の名跡を受け継ぎ外宮北御門前で旅館業をはじめました。明治19年(1886年)ころには旧御師・久保倉大夫(くぼくらたゆう)の名跡も受け継ぎ、明治23年(1890年)から明治26年(1893年)の間に宇仁館に改名したと思われます。
明治36年(1903年)に関西鉄道株式会社から発行された「関西参宮鉄道案内記」にある宇仁館の画像です。明治30年(1897年)までには三層楼の本館と3階建ての洋館も併設した旅館に成長しました。
明治30年11月に参宮鉄道(現在のJR参宮線)が山田駅(現在の伊勢市駅)まで延伸し、駅前に支店を出します。明治33年(1900年)に外宮神苑地拡張の議題が起こり、明治35年(1902年)に宇仁館本店は岡本(現在のマリアこども園の辺り)に移転します。北御門前に建っていた三層楼は岡本に移築されたと思われますが、明治37年(1904年)春に焼失してしまいました。
明治39年(1906年)11月に交益社から発行された「伊勢参宮案内記」にある宇仁館の広告の画像です。新築落成とあり同書の旅館案内の項には「宏大な朱壁の構造に建更へられた」と記述されています。
明治42年(1909年)に伊勢山田 大竹活版印刷所により製造された改正一新講社の画像です。この画像には外宮神苑前 宇仁館分店が追加されています。
大正7年(1918年)以前に発行された4枚組の絵はがきセットのうち「伊勢山田 外宮神苑前 宇仁館第二分店」の画像です。分店に関しては資料が少ないので、この画像だけでは外宮神苑前のどこに存在したのか判りません。
大正12年(1923年)1月に東京交通社から発行された「大日本職業別明細図」にある旅館・朝日館の画像です。画像が不鮮明で判りにくいのですが2階の屋根の特徴などから同じ建物だと思われます(※推測です)。
宇仁館分店の建物の左半分は朝日館に受け継がれ、右半分は取り壊されて大和館(やまとかん)の三層楼の一部に取り込まれたのではないでしょうか。
「大日本職業別明細図」の外宮参道付近の画像です。朝日館のあった場所は現在の伊勢せきや本店の辺りになります。大正11年の三重県商工案内、昭和6年(1931年)の宇治山田商工案内などから現在でも二見浦で経営されている朝日館の経営は喜多氏で外宮神苑前(当時は豊川町)の朝日館の経営は佐々木氏になっているので別経営だったと思われます。
4枚組の絵はがきセットのうち「伊勢 山田停車場前宇仁館支店」の画像です。駅前の宇仁館支店は大正8年ころまでは2階建ての建物でした。
畳紙に大正13年の書き込みのある3枚組の絵はがきセット「山田ホテル宇仁館」のうち「伊勢山田駅前 宇仁館」の画像です。大正8年から9年ころに駅前の支店は巨大な三層楼に建て替えられています。推測になるのですが、建て替えるのに莫大な資金が必要だったために外宮神苑前の分店を朝日館、大和館に売却して資金を調達したのではないのでしょうか?
現在の伊勢せきや本店の画像です。朝日館は昭和20年(1945年)ころに3軒駅寄りの宮前館に移転し、朝日館の場所には珠の家という旅館ができました。そして平成24年(2012年)に伊勢せきや本店がオープンしました。
出典:明治36年 関西鉄道株式会社発行 関西参宮鉄道案内記、明治39年 交益社発行 伊勢参宮案内記、大正11年 三重県勧業協会発行、大正12年 東京交通社発行 大日本職業別明細図、三重県商工案内、昭和6年 宇治山田商工会議所発行 宇治山田商工案内、昭和23年 宇治山田商工会議所発行 伊勢志摩商工大鑑、sadanai氏ホームページ いにしえの伊勢 旅館案内集成