「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の一節にあるように、朝熊岳(あさまがたけ)にある臨済宗・金剛証寺(こんごうしょうじ)は「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として、神宮参拝の後に参るのが良しとされてきました。
金剛証寺に行くには、大正14年(1925年)の朝熊登山鉄道のケーブルカー開業以前は神宮司庁(じんぐうしちょう)辺りから登る宇治岳道(うじたけみち)か朝熊町辺りから登る朝熊岳道(あさまたけみち)から徒歩で登りました。宇治岳道と朝熊岳道が合流する朝熊峠に東風屋(とうふや)旅館がありました。
現在は昭和39年(1964年)に開通した伊勢志摩スカイラインがあり、スカイラインで金剛証寺に直行しますと東風屋旅館跡の前は通りません。自家用車で東風屋旅館跡に行くにはスカイラインを伊勢市側から登り、金剛証寺の手前に八大龍王社(はちだいりゅうおうしゃ)入口の看板がありますので、そこを左に入ります。しばらく進みますと宇治岳道と合流しますので右折します。左折しますと、ケーブルカーの山上駅や内宮方面となりますが車では進めません。
しばらく進みますと、案内看板が見えてきます。
左側(伊勢湾側、真ん中の看板辺り)に別館がありました。とうふや旅館発行の絵はがきです。
同じくとうふや旅館発行の絵はがきです。道路を挟んで左側が100畳の大広間を持つ本館、右側が10室以上の客間のある別館です。とうふや旅館は江戸時代に開業し、朝熊岳山頂付近唯一の旅館として賑わったそうです。昭和19年(1944年)のケーブルカー休止とともに寂れ、茶店として臨時営業していたが、昭和39年(1964年)2月の火災で店舗を焼失し廃業しました。
現在の様子です。石垣などの遺構はたくさんあります。
別館跡の横にある朝熊町方面に下る朝熊岳道。
別館跡付近から撮影した伊勢湾の画像です。
ケーブルカーが運行され、裏面の鳥瞰図に宇治山田駅が無いので、大正14年(1925年)から昭和5年(1930年)までの間に発行されたと思われるとうふや旅館発行の伊勢参宮案内図です。
裏面の鳥瞰図です。
鳥瞰図のとうふや旅館付近を拡大した画像です。とうふや旅館の下辺りに十八州一望とありますが、朝熊峠には十八州台(じゅうはっしゅうだい)という展望の名所があり、十八亭(じゅうはちてい)というとうふや旅館が経営する休憩所があったそうです。十八州とは伊勢・志摩・伊賀・大和・近江・美濃・飛騨・越前・加賀・越中・信濃・尾張・三河・遠江・甲斐・駿河・相模・伊豆を指すそうです。
出典:昭和61年国書刊行会発行 ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 伊勢二見小俣、wikipedia