以前に山田駅前(現在の伊勢市駅前)航空写真⑤で佐伯旅館(さいきりょかん)、別館とらやをご紹介しましたが、今回は新たな画像を交えて改めて佐伯旅館をご紹介します。
山田駅前(現在の伊勢市駅前)航空写真⑤でもご紹介した佐伯旅館発行のパンフレット2種の表紙の画像です。
佐伯旅館は旧御師・佐伯大夫(さいきだゆう)が明治時代に入ってから経営を始めたと思われますが詳しい経緯は不明です。
明治34年に発行された「神都名家集」にある佐伯市太郎の伝の項には佐伯市太郎氏は文久3年(1863年)12月に生まれ、家は世々師職にて佐伯太夫と称すとありますが、皇學館大学資料編纂所編の神宮御師資料には佐伯大夫の銘を見いだすことはできませんので安永6年(1777年)以降に御師となり明治以前には廃業していたのでしょうか?
明治時代に発行された案内記等の広告に佐伯旅館の掲載は無く、福島御塩焼大夫(ふくしまみさきだゆう)、上野館大夫(うえのだちだゆう)などの看板を買い入れ、旧檀家と取り込むという集客方法をとっていました。明治45年(1912年)7月1日現在の宇治山田商工人名録に「旅館 佐伯大夫 佐伯つね」とあります。
大正3年(1914年)9月に実業興信所から発行された「宇治山田市商工人名録」には「旅館兼金貸 佐伯大夫 山本市蔵」となっていますので、この3年の間に佐伯氏から山本氏に経営が移ったようです。佐伯氏、山本氏ともに名前に「市」が使われてますので血縁関係、養子縁組があった可能性も考えられます。
佐伯旅館発行の5枚組絵はがきの畳紙(たとうがみ)の画像です。右下には「特許出願中 山田市外中村 土谷写真製版所印行」とあります。
5枚組絵はがきのうち、「伊勢山田驛前 佐伯旅館 正面全景」の画像です。右端の看板の文字が加工されて消されていますが「吉野館」の看板と推測されますので、この絵はがきセットは昭和8年(1933年)ころまでに発行されたものでしょうか。
現在はシャレオサエキビルになっています。
絵はがきセットのうち「伊勢山田驛前 佐伯旅館 玄関」の画像です。
絵はがきセットのうち、「伊勢山田驛前 佐伯旅館 離レ座敷」の画像です。キャプションが無ければ何の画像かさっぱり判らないですね(^^;)。
絵はがきセットのうち「伊勢山田驛前 佐伯旅館 内宮正殿 外宮正殿」の画像です。
絵はがきセットのうち「伊勢山田驛前 佐伯旅館 宇治橋 二見浦日ノ出」の画像です。
昭和10年(1935年)以降くらいに発行された絵はがき「佐伯旅館全景」の画像です。右側の建物は元吉野館で昭和8年ころに伊勢屋別館を経て佐伯旅館別館とらやとなりました。この頃には間口が50m以上ある巨大旅館になっていました。
吉野館時代に撮影された別館の画像です。
出典:明治34年 三谷敏一著 神都名家集、大正元年 神都興信所発行 宇治山田商工人名録、大正3年 実業興信所発行 宇治山田市商工人名録