前回の光明寺付近までをご紹介した御幸道路沿いの風景②の続きになります。
昭和4年(1929年)以降に発行された絵はがき「神都希望館」の画像です。神都希望館は昭和4年に旅館十五楼(じゅうごろう)跡を利用して開館しました。旅館十五楼は元々古市街道沿いのローソン伊勢尾上町店の場所にありました。大正11年(1922年)以降に家運を賭けて御幸道路沿いに進出しましたが、返って仇となり廃業に追い込まれました。(伊勢の古市あれこれ 51p)
神都希望館跡の現在の画像です。場所は二見街道入口の少し東側になり、現在は天理教の施設があります。昭和4年に開館した神都希望館は昭和8年には解散となりました。
昭和11年(1936年)6月に東京観栄会から発行された「伊勢参宮及鳥羽・二見ヶ浦 記念写真帖」に掲載されている「御成街道」の画像です。御成街道(おなりかいどう)は御幸道路の別名で、この画像は倉田山に差し掛かった辺りの画像です。
昭和20年代に発行された絵はがき「宇治山田 御幸通」の画像です。
「御成街道」、「宇治山田 御幸通」と同じ角度で撮影した現在の画像です。外宮や宇治山田駅から内宮へ向かうときのお馴染みの風景ですね。開通当時は無かった右折レーンが増設されていますので左側の歩道が無くなっていて、徴古館へ通じる道路は通行不可になっています。
御幸道路③でもご紹介した明治43年(1910年)3月の御幸道路開通直後に撮影された参宮自動車営業部発行の「伊勢御幸通倉田山」の画像です。現在の倭姫宮前の交差点になりますが、このときには倭姫宮はまだ創建されていません。
昭和10年(1935年)ころに発行された写真集「伊勢神宮」に掲載されている「伊勢名所 倭姫宮表参道」の画像です。倭姫命(やまとひめのみこと)は天照大神の御神教(みおしえ)を受けて約2000年前に五十鈴川の川上、現在の場所に皇大神宮(内宮)を創建されました。
大きな功績をお遺しになった倭姫命の御徳をお慕いして、大正元年(1912年)に宇治山田市(現在の伊勢市)市長が先頭に立ち、倭姫命をお祀りする神社の創建を請願をしました。大正8年(1919年)に帝国議会で創立の予算が可決され、大正10年(1921年)1月4日に内宮別宮としての創立が決定し、大正12年(1923年)11月5日に御鎮座祭が執り行われ創立されました。
令和5年11月5日朝に撮影した倭姫宮の画像です。この日は倭姫宮創建100周年にあたり、4日、5日の両日には倭姫宮御本殿前や徴古館前特設舞台で「ご鎮座100周年記念奉祝行事」が行われました。
出典:sadanai氏ホームページ いにしえの伊勢、倭姫宮御杖代奉賛会ホームページ、昭和51年 三重県郷土資料刊行会発行 野村可通著 伊勢古市あれこれ、wikipedia