町並みの今昔 旅館編

二見浦・日陽ホテル大勢館跡 のちの伊勢屋本店 外宮前・伊勢ホテル大勢館跡 宇仁館隣り

前回「ホテルキャッスルイン伊勢夫婦岩」さんがある場所には、2001年までは「旅館 伊勢屋本店」があったことご紹介しましたが、今回はさらにその前に存在した「日陽ホテル 大勢館」をご紹介します。

前回もご紹介した「伊勢屋本店」の画像です。伊勢屋は2001年に営業を終了しました。

明治44年(1911年)7月に久保村憲介より発行された、曾我部市太著「鳥羽誌」に掲載されている「二見浦 大勢館」の広告の画像です。

広告の文章に「新築したる」とありますので、明治44年の少し前に開業または建て替えられたと考えられます。

大正7年(1918年)以前に発行された絵はがき「二見浦和洋旅館海水浴 日陽ホテル」の画像です。「二見浦 大勢館」の広告の文章に「白亜の四層楼は雲外に聳え・・・」とありますが、画像右側の洋館のことを指します。

広告の文章には「自家用発電所を送電するイルミネーションは二見ヶ浦の夜景を装飾す」や「水族館の設備完全し伊勢湾内の魚類は槽中に集まり溌溂(はつらつ)たる風情」とあり、明治44年以前にこのような設備があったとはビックリですね。

絵はがき「二見浦和洋旅館海水浴 日陽ホテル」の玄関付近を拡大した画像です。和館の玄関の右側には「大勢館支店」の表札、左側に「和洋旅館 日陽ホテル」の表札が掲げられていますので、大勢館の支店であったことが判ります。

洋館の入口の門の右側の柱には「二見浦」、左側の柱には「水族館」の看板が掲げられています。広告の文章にある「水族館」のことですね。画像中央の大八車にも「水族館」と書かれた箱のようなものが載っています。

大正7年以降に発行された絵はがき「伊勢二見海岸 大勢館洋館ノ一部」の画像です。洋館の前に茶屋か食堂の建物ができて、その左側の門には「日陽ホテル大勢館」の表札が掲げられています。

大正7年以前に発行された絵はがき「伊勢二見浦の全景」の画像です。画像右端に日陽ホテル大勢館の洋館が写っています。和風建築ばかりの中に洋風4階建ての建物は目立ちますね。

この洋館がいつまで存在していたかは不明ですが、大正11年(1922年)時点で三重県商工案内に「日陽ホテル(経営者:辻岡直一氏)」が確認でき、昭和8年(1933年)ころまでには巨大な三層楼の旅館に建て替わったと思われます。

明治40年(1907年)に参宮鉄道株式会社運輸係から発行された「参宮案内」に掲載されている「伊勢ホテル大勢館」の広告の画像です。場所は伊勢山田外宮前となっており、元三田屋とあります。

明治39年に交益社から発行された「伊勢参宮案内記」の旅館・山田の部にある「宇仁館 岡本町」の項に「この傍らに三田屋というがある。構えは小さいが、親切と叮嚀とで評判がある。」とあります。

明治39年から明治40年ころに岡本町の宇仁館本店の隣りにあった「三田屋」が「伊勢ホテル大勢館(経営者:辻岡直一氏)」になり、明治44年までには二見浦に「大勢館支店」を出しました。

大正中期に宇仁館から発行された「外宮前 宇仁館」の画像です。この宇仁館の右隣りか左隣りに三田屋→大勢館がありました。

宇仁館本店があった現在の伊勢市岡本のマリアこども園前の画像です。右側に見える路地が旧参宮街道(古市街道)になります。手前側の旧参宮街道は戦後、御木本道路となり拡張されましたので、宇仁館の建物は半分は道路上にあったと思われます。

宇仁館の右隣りでしたら、マリアこども園の並びの民家辺りが大勢館跡になると思われます。

宇仁館の左隣りでしたら、マリアこども園前の運動場の辺りから、現在の御木本道路の道路上にかけてが大勢館跡になると思われます。

岡本町の「伊勢ホテル大勢館」は宇治山田商工人名録により大正3年までは確認できますが、大正11年発行の三重県商工案内に記載されていないので、それまでには移転または廃業したようです。

明治39年に伊勢電車が古市口から宇治(猿田彦神社前)まで開業、明治43年には御幸道路が開通し、旧参宮街道(古市街道)沿いは参宮客の流れが減ってしまい、旧参宮街道沿いに本店があった松島館藤屋と同様に大正中期までには移転していったのだと思われます。

出典:明治39年 交益社発行 伊勢参宮案内記、明治40年 参宮鉄道株式会社運輸係発行 参宮案内、明治44年 久保村憲介発行 鳥羽誌、大正元年 神都興信所発行 宇治山田商工人名録、大正3年 神都興信所発行 宇治山田商工人名録、大正11年 三重県勧業協会発行 三重県商工案内

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