町並みの今昔 旅館編

とうふ屋旅館跡② 豆腐屋 東風屋 十八亭 十八洲楼 朝熊岳

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とうふ屋旅館跡に設置されている案内看板

以前にご紹介した東風屋旅館(とうふや、豆腐屋)の続きになります。とうふ屋旅館の創業は江戸期の延宝(1673年~1681年)以前となり、昭和39年(1964年)2月に火事により焼失、廃業となりました。約280年間、朝熊山登山客・金剛證寺参拝客を受け入れていたのですね。

この画像は明治28年(1895年)にとうふや旅館の経営者である「とうふや佐吉」こと大井幸太郎氏が発行した「伊勢朝熊岳旅館十八亭ヨリ十八洲一望之図」を撮影したものです。大きさは縦が約35cm、横が約52cmです。

図の上部右側を拡大した画像です。飛騨・乗鞍岳から相模・箱根山まで描かれています。

図の上部左側を拡大した画像です。大和・高見山から加賀・白山まで描かれています。

左端には明治26年に宮川駅まで開通した参宮鉄道(現在のJR参宮線)の蒸気機関車の絵が描かれています。

明治36年(1903年)神洲堂発行の「伊勢名所案内」にある「朝熊岳十八洲楼」の画像です。看板には「豆腐屋佐吉」と書かれており、当時は「とうふ」を「東風」・「豆腐」などと当て字で表記していたようです。「十八亭」も「十八洲亭」・「十八洲楼」など複数の通称があったようです。

明治42年(1909年)改正、三日市大夫次郎発行の御師講社にある朝熊を含んだページの画像になります。

大正2年(1913年)岡田商店発行の「両宮案内」にある「朝熊岳とうふや」の画像です。別館跡辺りから伊勢湾方面(二見方面)を撮影した画像になります。

ほぼ同じ角度で撮影した現在の画像です。

大正8年(1919年)鳳鳴社発行の「伊勢参宮 二見鳥羽朝熊岳 案内」にある「とうふや」の広告の画像になります。ここでは「旅館 十八州亭」となっております。

昭和5年(1930年)敬神教育会発行の「伊勢参宮」にある「とうふ屋旅館」の項の画像になります。ここでは別名を「十八州楼」と称しています。

とうふ屋旅館の本館があった辺りの現在の画像です。塀の一部が現在も遺っております。

とうふ屋食堂のあった辺りの現在の画像です。石垣?のような遺構が現在でも遺っております。

出典:明治36年 神洲堂発行 伊勢名所案内、明治42年改正 三日市大夫次郎発行 御師講社、大正2年 岡田商店発行 両宮案内、大正8年 鳳鳴社発行 伊勢参宮 二見鳥羽朝熊岳 案内、昭和5年 敬神教育会発行 伊勢参宮

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