御師

御師 福島御塩焼大夫邸跡 神宮文庫黒門 福島みさき大夫 

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御師・福島御塩焼大夫(ふくしまみさきだゆう)家は外宮祠官(げくうしかん)・度会(わたらい)氏の庶流で、宝徳(1449~1452年)頃に亀田氏より分出しました。外宮土宮(つちのみや)の御塩焼物忌(みさきものいみ)職を相伝したことから御塩焼大夫と称しました。三方年寄(さんぽうとしより)家であり、橋村大夫家と並び、山田の最有力御師でありました。豊後国(現在の大分県)・肥後国(現在の熊本県)を中心にお札を配布しており、明治3年(1870年)には25万5000体余りを配布しておりました。

明治25年(1892年)改正の一新講社(いっしんこうしゃ、旅行組合)の表紙の画像です。

一新講社の3ページ目の画像です。やま田の欄にくずし字で読みにくいのですが、「福嶋みさ記太夫」とあります。その次が高向二頭太夫(たかぶくにとうだゆう)で、その次に最有力御師でもあった橋村太夫の名前もあります。明治4年(1871年)に御師制度が廃止されましたが、明治25年の時点ではまだまだ旧御師を頼る檀家が多かったのだと思われます。

明治40年(1907年)参宮鉄道株式会社運輸係発行の「参宮案内」にある旅館・料理店の一覧の画像です。橋村八郎大夫、福島御塩焼大夫の名前があります。

大正15年(1926年)敬神図書出版社発行の「伊勢神宮誌」の主なる旅館名の画像になります。山田駅西方の欄に「福島みさき太夫」とあります。このころを最後に手元にある資料には福島御塩焼大夫の名前が出てこなくなりますので、大正の終わり頃から昭和の初期の間に旅館業を廃業したのだと思われます。

2019年5月撮影

福島御塩焼大夫邸跡は伊勢市八日市場(ようかいちば)にあり、県道22号線(南島線)沿い、NTTから西へ100mほどのところになります。廃業後は宇仁田呉服店に受け継がれ、当時の建物の一部が遺っていたと思われますが、2019年8月に取り壊され更地になりました。

2020年2月撮影

2020年2月現在の様子です。

神宮文庫 黒門

安永9年(1780年)に建築された福島御塩焼大夫邸にあった門を昭和10年(1935年)に神宮文庫の門として移築しました。通称「黒門」といい、御幸道路の「倭姫前」の信号交差点のところにあります。

門に掲げられている説明看板が最近新しくなりました。

門の扉の画像です。扉にある丸い金具は「乳鋲(ちびょう)」といい、飾りとして打ち付けてあるそうです。

門を下から撮影した画像です。「丸に下がり藤」の家紋が見えます。

出典:昭和63年 大分県地方史研究会 大分縣地方史、昭和57年 皇学館大学出版部 神宮御師資料 外宮篇1、明治40年 参宮鉄道株式会社運輸係発行 参宮案内、大正15年 敬神図書出版社発行 伊勢神宮誌

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