御師

伊勢の御師と御師邸の遺構

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伊勢の御師(おんし)とは

神宮はもともと「私幣禁断(しへいきんだん)」(天皇以外からの奉幣を禁じていた)であったが、それが緩み一般人が参拝できるようになった平安時代後期頃に御師は形成しはじめ、江戸時代、最も多いときには宇治(内宮)に271家、山田(外宮)に615家あり、日本全国に檀家を持ち、毎年全国各地に御祓大麻(おはらいたいま)を配布し、檀家の参宮にあたっては御師邸に宿泊させてお神楽をあげ、両宮参拝、朝熊・二見・古市を案内し伊勢参宮を演出したそうです。

御師は「御祈祷師(おんいのりし)」に由来すると言われ、他の有力寺社に置かれたものを「オシ」と呼ぶのに対し、伊勢では「オンシ」と呼ぶのが通例であります。また御師が「大夫(だゆう)」を称するのは、権禰宜(ごんねぎ)になると五位の位を授かったこと(五位の人を大夫(たいふ)という)に由来するそうです。

当初の御師は荒木田(あらきだ)・度会(わたらい)姓の権禰宜で神人(じにん)と呼ばれる人々でありましたが、時代が下るとともにそれ以外の神役人、さらには商人などの地下人(じげにん)と呼ばれる人々も「御師株」を手に入れ御師となっていきました。

明治4年(1871)7月、御師達の活動が明治政府によって禁止されてしまい、廃絶することとなります。廃絶により財産の切り売り等がなされたため、御師邸がほとんど残らず、関係資料の多くが失われたそうです。

江戸時代中期に外宮西側にあった福島御塩焼大夫(ふくしまみさきだゆう)邸の門として創建され、昭和10年(1935年)に神宮文庫の黒門として移築された門であります。昭和33年(1958年)に伊勢市の有形文化財に指定されている。外宮から内宮へ向かう御幸道路の「倭姫前(やまとひめまえ)」の信号交差点の左側にあります。

門の左側に掲げられた説明看板。

八日市場にあった福島御塩焼大夫邸跡。外宮の北御門からですと徒歩5分くらいのところにあります。道路の反対側には小西万金丹があります。

昭和40年に常盤町にあった葉山大夫邸から徴古館に移築された葉山大夫(はやまだゆう)邸の医薬門。御幸道路沿い、黒門手前200mくらいの右側にあります。

門の左側にある説明板。

現存する唯一の御師邸、丸岡宗大夫(まるおかそうだゆう)邸。宮町の烏帽子世古(えぼしせこ)にあり、外宮の北御門からですと徒歩10分くらいのところにあります。

伊勢の御師で最大規模を誇り敷地面積が1800坪あったとされる、三日市大夫次郎邸の石標。伊勢税務署の敷地内、裏手にあります。

出典:伊勢商工会議所発行・検定お伊勢さん公式テキストブック、伊勢市立伊勢古市参宮街道資料館ホームページ、wikipedia

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