御師

御師 沢瀉大夫

沢瀉大夫(おもだかだゆう)は、もと内宮の御師であり、別宮・風日祈宮(かざひのみのみや)の内人(うちんど)を兼ねており、関東を中心に中部・近畿地方に檀家を持ち、お祓札26、500余体を配布していたそうです。明治4年(1871年)に御師制度が廃止されてからも沢瀉大夫の名で旅館業を続けていました。

この絵図は、明治30年2月、古川小三郎発行の「伊勢参宮案内」に掲載されているものです。宇治橋の北東側から南西側(現在の宇治橋衛士見張所・観光バス駐車場側)を見た構図です。

現在の宇治橋上から南西側を撮影した画像です。衛士見張所の辺りには大橋館が建っており、その南隣に沢瀉大夫邸が建っていたようですので、ポールの建っている辺りにあったのでしょうか?

宇治橋の外側の鳥居横から。衛士見張所の辺りに大橋館があり、その奥に沢瀉大夫邸があったようです。

観光バスが止まっている辺り一帯が沢瀉大夫邸跡地だと思われます。大正4年(1915年)に宇治橋前を整備するために民衆四十余戸を撤去したそうですので、このときに旅館沢瀉大夫は廃業したのでしょうか?

大橋館は現在の修養団のある場所に移って営業を続けたようです。昭和初期ころには宇仁館別館對泉閣(うにかんべっかん たいせんかく)となっておりました。

「伊勢参宮案内」の宇治橋の項の旅館に関する説明文です。

「伊勢参宮案内」の広告欄です。

引用元:明治30年2月古川小三郎発行「伊勢参宮案内」、昭和61年国書刊行会発行 ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 伊勢二見小俣

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