今回はかつて外宮の西側、八日市場(ようかいちば)にありました千秋楼(せんしゅうろう)をご紹介します。
千秋楼があった場所は外宮北御門を出まして直進し、南島線(県道22号線)に出ます。信号交差点を左折し、NTTを左側に見ながら進みますとファミリーマート伊勢外宮西店が見えてきます。
ファミリーマートの信号交差点を直進し、20mほど進みますと右側には伝統薬として親しまれた「小西万金丹(こにしまんきんたん)」の建物があります。2ヶ月ほど前に補修した部分はありますが、明治初期に建てられた間口10間(約18,18m)もある立派な切妻造り2階建ての建物です。
小西万金丹の道路の反対側は福島御塩焼大夫邸があった場所で、その後、宇仁田呉服店となり建物は残されていたのですが、8月下旬に取り壊されてしまいました。
2019年5月に撮影した画像がありますが、福島みさき大夫邸跡の石標を目的に撮影したものなので、建物全体を撮影しておりませんでした。
宇仁田呉服店跡から50mほど進みますと、有文堂(ゆうぶんどう)の信号交差点がありますので、左折します。左側にある茶色の建物が有文堂さんです。
50mほど進みますと、左側にはミシュランガイド2019特別版で二つ星の「懐石 かみむら」さんがあります。
「かみむら」さんを少し通り過ぎたところにある路地を右折し、80mほど進みますと左側に網谷(あみたに)医院さんの第2駐車場があり、この場所に千秋楼がありました。
駐車場の北西側から撮影した画像です。駐車場の奥に見えるのが網谷医院さんです。
第2駐車場の南側には網谷医院さんの第1駐車場があり、塀の一部は古いレンガ造りになっております。千秋楼と関係があるのかは不明です。
千秋楼は元「與可楼(よかろう)」という名称で営業しておりましたが、大正中期ころに宇仁館(うにかん)の傘下に入り「千秋楼」と名称を変え営業を続けました。昭和20年(1945年)の宇治山田空襲の戦災を免れ、戦後しばらくは営業していたようですが、昭和30年代前半に廃業し取り壊されたようです。跡地に田岡産婦人科が建ち、昭和61年時点では市立おおぞら児童園となり、現在は網谷医院さんの駐車場となっております。
大正期頃に発行されたと思われる千秋楼の5枚組絵はがきの畳紙(たとうがみ)の画像です。以下5枚組の絵はがきをご紹介します。
昭和9年(1934年)以降に宇仁館から発行された9枚組絵はがきのうちの1枚になります。こちらは「宇仁館別館 千秋樓」となっており、玄関が増築されて立派になっております。
出典:大正15年 敬神図書出版社発行 伊勢神宮誌、昭和61年国書刊行会発行 ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 伊勢二見小俣