上の画像は油屋騒動(あぶらやそうどう)で有名な油屋跡の石標です。外宮から内宮へ古市街道(ふるいちかいどう)を進み、古市郵便局を越え、近鉄線の陸橋の手前の右側に石標は立っております。油屋騒動を題材にした歌舞伎の演目のひとつに伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)があります。
古市はお伊勢参りの参拝客の増加とともに、参拝後に精進落としをする人々が増加したことにより遊廓が増え歓楽街として発達しました。江戸時代末には、江戸幕府非公認ながら、江戸の吉原、京都の島原と並んで三大遊廓に数えられました。代表的な妓楼(ぎろう)としては、備前屋、杉本屋、油屋などがあり、油屋は明治21年(1888年)に旅館業に転業しました。
大正後期から昭和初期に発行された絵はがき「伊勢古市旅館油屋本店」の画像です。右側が本店で左側が別邸になります。
絵はがきと同じ角度から撮影した現在の画像です。フェンスの下には近鉄線が走っており、石標は灰色の建物の脇に立っております。
石標付近から宇治山田方面の画像です。昭和43年頃に別邸の跡地が大きく切り開かれ、線路が敷かれました。電車が走っている真上に別邸があったのですね。
陸橋の上から鳥羽方面を撮影した画像です。尾根に街道があったのがよく分かります。
旅館油屋から発行されたパンフレットの表紙です。
パンフレットの表面にある鳥瞰図です。現在の「宮町駅」が「外宮前駅」となっていますので昭和6~8年ころに発行されたものと思われます。
パンフレットと同じ時期に油屋から発行された9枚組の絵はがきセットの畳紙です。図柄も文字も油が漂っているようになっています。
絵はがきセットのうち、「盃ノ間舞台」の画像です。パンフレットや畳紙に盃の絵があるようにこの「盃ノ間」が油屋を象徴する部屋だったと思われます。
同じくセットのうち、「盃ノ間ニ至ル廊下 本店盃ノ間ヨリ庭園桃山ヲ望ム」の画像です。桃山とは現在の桃山団地辺り(勢田町と中之町の境目辺り)の小高い山のことで沢山の桜の木が植えられており、桜の咲く頃にはお花見で大変賑わったそうです。
同じくセットのうち、「梅ノ間」の画像です。
同じくセットのうち、「別館・玄関 別館・応接間」の画像です。
同じくセットのうち、「冬ノ松ノ間」の画像です。
3000坪といわれた広大な段々の敷地に城郭のような風情で建っていた油屋の建物群は昭和20年(1945年)7月29日の空襲により焼失してしまいました。
出典:昭和61年国書刊行会発行 ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 伊勢二見小俣、油屋発行 伊勢参宮乃志を里、昭和43年 謙光社発行 井村かね著 わが生涯の記、昭和46年 三重県郷土資料刊行会発行 野村可通著 伊勢古市考、wikipedia