町並みの今昔 学校編

国史跡 旧豊宮崎文庫② 大観社 宇仁館別荘 オヤネザクラ

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前回の門や練塀、堀を中心にご紹介した国史跡 旧豊宮崎文庫①の続きになります。慶安元年(1648年)に創設された豊宮崎文庫は明治元年(1868年)に廃止されて以降、講堂は様々な学校に転用されました。

現地看板にある昭和11年頃の豊宮崎文庫平面図の画像です。講堂は敷地の中心付近にあり、東西8間(約14,5m)、南北3間(約5,5m)であったそうです。明治11年(1878年)2月に講堂は焼失しましたが、書庫と蔵書、什器は難を逃れました。明治14年(1881年)10月には書庫を維持・管理するために文庫衆という法人組織を結成して経営にあたりました。

その後、文庫衆は経営に行き詰まったようで、明治43年(1910年)に土地、建物、蔵書を旅館・宇仁館(うにかん)の経営者・西田貞助氏に売却しました。

大正7年(1918年)以前に発行された絵はがき「伊勢外宮宮崎文庫」の画像です。桜に隠れている左側の建物が書庫、画像奥の建物が来賓を迎えるための「大観社」で、画像手前の平地に焼失した講堂がありました。

「伊勢外宮宮崎文庫」とは90度違いますが現在の講堂跡の画像です。画像奥が書庫跡になります。

明治44年(1911年)2月には、蔵書の散逸防止のために神苑会が図書18,000冊余り、什器28点を購入して神宮に献納し、図書は神宮文庫に什器は神宮徴古館に収蔵されました。

大正7年以前にMATSUMOTOから発行された32枚組の絵はがきセット「伊勢名勝」のうち「豊宮崎文庫御屋根桜」の画像です。右側の建物が書庫になります。

同じく大正7年以前にMATSUMOTOから発行された絵はがき「豊宮崎文庫御屋根桜」の画像です。上の画像とタイトルは同じですが角度が少し違います。花見を楽しむ人々が写っていますね。

昭和11年(1936年)に宇仁館から発行されたパンフレット「神都」に掲載されている「豊宮崎文庫遺蹟」の画像です。大正12年(1923年)3月に「旧豊宮崎文庫」として国の史跡に指定されましたが、昭和11年時点でも営業案内には「宇仁館別荘宮崎文庫」とあり、説明文にも西田氏の所有であることが記載されています。

戦後に土地所有者により建物は破壊され、また敷地を分割売却、御木本道路拡張などにより現在のように至りました。

現在の画像です。フェンスで囲まれた2本の桜が「御屋根桜」になります。御屋根桜は豊宮崎文庫落成当時に創設の主唱者のひとり出口延佳の家の屋根に生えていた桜の苗を移植したとも、外宮(豊受大神宮)の正殿の御屋根に自生した桜とも云われています。昭和3年に山桜の新種として発表され、昭和61年7月に伊勢市の天然記念物に指定されました。

練塀の脇に生えている「お屋根桜」の画像です。

敷地の真ん中付近にある「お屋根桜」の画像です。お屋根桜は一時絶滅したものと考えられていましたが昭和53年(1978年)に4株の生存が確認され、現在ではこの2株が残っています。

現在では旧豊宮崎文庫の大半が伊勢市により公有化されていて、お屋根桜が咲く時期になると一般公開されます。今年は3月26日から4月3日の予定でしたが、花が長持ちしたため4月6日まで延長されました。一般公開時の入口は御木本道路側になります。

出典:令和4年3月 伊勢市文化政策課発行 旧豊宮崎文庫とオヤネザクラ、wikipedia

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