風俗・文化

おかげ犬 代参 お陰参り 歌川広重 柄杓童子 犬の伊勢参り

江戸時代、伊勢参りは全時代を通じて流行しましたが、特定の年に熱狂的に伊勢参りが行われ、多くの民衆が伊勢へと押し寄せました。慶安3年(1650年)、宝永2年(1705年)、明和8年(1771年)、文政13年(1830年)がその代表的な年で、明和8年のときから広く「お陰参り」と言われるようになりました。

嘉永2年(1849年)に出版された丸清版(丸屋清治郎版、隷書版ともいわれる)の歌川広重によって描かれた「東海道五十三次」のうち「四日市 日永村追分参宮道」の画像になります。白い犬が描かれていて、「おかげ犬」と言われた犬になります。

多くの民衆が伊勢を目指しましたが、体が弱いなどの事情で伊勢参りができない人もいました。その主人に代わりに参詣したのが「おかげ犬」で、明和8年に初めて犬が参拝したという記録が残ります。

その様子は外宮神官の度会重全(わたらい しげまさ)著「明和続後神異記」の中に記されていて、山城国久世郡槙の島(くせぐん まきのしま、現在の京都府宇治市槇島)の高田善兵衛の飼い犬が外宮、内宮を参拝して御札をもらい、無事に帰国したそうです。

この他にも現在の福島県須賀川から来た「シロ」、徳島県から来た「おさん」などの記録があります。

桜の渡しでもご紹介した安政2年(1855年)に丸屋清治郎から出版された歌川広重によって描かれた「伊勢参宮 宮川の渡し」の画像です。この絵にも白い「おかげ犬」が描かれています。

「四日市 日永村追分参宮道」に描かれたおかげ犬を拡大した画像です。

おかげ犬のスタイルは首に飼い主の所書(ところがき、住所)と伊勢代参の犬であることを示す木札を首から下げ、紐に通した銭を首に巻いていたそうです。

この時代にはおかげ犬にエサをあげたり寝床を提供するなど手厚くもてなすと、自らも功徳を積めると信じられていたので、犬の銭を奪ったり無下に扱ったりしなかったそうです。

「伊勢参宮 宮川の渡し」に描かれたおかげ犬を拡大した画像です。このおかげ犬は首にお札をつけていますので、伊勢参りを済ませた帰りだと思われます。

明治時代になっても数は減りましたが、時々伊勢参りをする犬が現れました。しかしながら文明開化とそれに伴う洋犬至上主義により明治6年(1873年)4月に東京に畜犬規則が布達されて犬の生活状況が変わり、伊勢参りをする犬はいなくなりました。翌明治7年(1874年)12月18日の横浜毎日新聞に最後と思われるおかげ犬のことが掲載されています。

絵はがき「伊勢宇治橋」の画像です。対岸に民家が無く、橋の右側に網受けがいますので、明治20年(1887年)から明治23年(1890年)にかけての宇治橋内の民家の撤去後、明治38年(1905年)の網受けの廃止以前の撮影になります。

「伊勢宇治橋」の橋の上を拡大した画像です。よく見ると犬がいますね。首には何も巻いていないので近所の飼い犬の可能性もありますが、もしかすると「リアルおかげ犬」かも知れません。いずれにせよ宇治橋の上に犬がいるめずらしい画像です。

外宮参道にある「伊勢せきや 本店」さんの画像です。建物の右側の前に「柄杓童子(ひしゃくどうじ)」の像があります。

柄杓童子の像の画像です。「古来より神宮参詣は人々の憧れでしたが実際にお詣りできないひとたちの願いを叶えたのが犬の代参でした。柄杓を背にした犬が、たくさんの善意に守られながら道中を続けたといいます。犬に跨がっている童子は、優しいこころの象徴です。籔内佐斗司」と説明文に書かれています。

我が家のチワワにおかげ犬風になってもらいました。

最後は「ええ加減にして~な~」っていう顔をされてしまいました(^^;)。

出典:平成30年 秋田耕司 伊勢を創った太田小三郎、2013年 株式会社平凡社発行 仁科邦男著 犬の伊勢参り、wikipedia

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)