上の画像は現在のJR鳥羽駅前になります。画像中央の奥に壁がベージュ色の建物がありますが、その建物の脇には・・・。
古びた金属製の支柱跡のようなものがあります。これは嘗てここにあった観光用の日和山(ひよりやま)エレベーターの遺構になります。
宛名面に昭和14年8月のスタンプ印のある絵画研究会発行の絵はがき「日和山エレベーター」の画像です。右側の半分切れている建物が当時の鳥羽駅です。戦前には二見浦にもロープウェイがありましたが、鳥羽にもこのような観光施設があったのですね。
昭和10年頃に発行されたと思われる伊勢全集のうち「【鳥羽浦名勝】地方色豊かな港、省線鳥羽駅と日和山エレベーター」の画像です。この画像ですと位置関係が判りやすいですね。日和山エレベーターは鳥羽駅前と日和山(標高68m)を連絡するもので、昭和9年(1934年)9月に完成しました。鉄塔の高さは51mで41秒で昇り、一日平均200回の昇降をしたそうです。
昭和18年(1943年)10月7日から太平洋戦争による電力消費規制により営業運転を休止し、昭和22年3月1日より営業を再開しました。
営業再開後、三重交通の傘下に入り順調な経営をしておりましたが、昭和49年(1974年)1月6日に鳥羽駅で起きた火災で類焼してしまい営業を休止しました。焼け残った鉄塔はそのまま残されていましたが、営業を再開することなく昭和57年(1982年)9月に解体、撤去されてしまいました。
戦前に絵画研究会から発行された絵はがき「日和山廣樂園より展望台を望む」の画像です。垂直に建ったエレベーターのタワーから連絡橋により日和山の「広楽園」と呼ばれるところに繋がっていました。
現在でも街路燈つきの欄干の台座は残されています。
この辺り一帯は広野藤右衛門が開いた「広楽園」と呼ばれる庭園でした。広野家は江戸時代に大庄屋をつとめていた鳥羽随一の財産家で代々「藤右衛門」を襲名し、鳥羽の土地を多く所有していたそうです。
絵はがき「日和山廣樂園より展望台を望む」と同じ角度で撮影した現在の眺望です。柵に隠れて見にくいのですが、四角い石が欄干の台座跡です。
戦前に絵画研究会から発行された絵はがき「日和山廣樂園の一部 賣店及猿舎附近」の画像です。エレベーターを昇り、連絡橋を渡ると右側には売店があり、左奥には猿を飼っている檻があったようです。
連絡橋跡から振り返っての現在の画像です。この広場一帯が広楽園になり、現在はベンチや石碑が設置されているだけであります。
出典:鳥羽市ホームページ、鳥羽市観光課 デジタルアーカイブス、wikipedia