神宮の今昔

戦前の内宮神苑 日清・日露戦役記念砲 戦艦アリヨール主砲・二十四珊加農砲・二十八珊榴弾砲

2020年1月3日 撮影

新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

上の画像は1月3日に撮影した宇治橋前のご来光直前の様子になります。見にくいですが、画像下半分は人だかりであります。お正月三が日の伊勢神宮への参拝者数は56万人で、昨年より4万7000人多かったそうです。

この画像は大正2年(1913年)に岡田商店から発行された「両宮案内」にある「宇治橋」の画像になります。右側に木除杭(きよけくい)がありますので画像奥が神苑側になります。よく見ると画像の左端に細長い塔のようなものが見えますが、これが何かと申しますと・・・。

両宮案内より

日露戦争《明治37年(1904年)~明治38年(1905年)》において鹵獲(ろかく)したロシア軍の戦艦アリヨール(オリョール)の12インチ主砲の砲身であります。全長は12m余り、重量は44t余りで大日本帝国軍の攻撃により砲身の先端は欠損していました。展示されていた場所は宇治橋を渡った左側にある神宮茶室の北側辺りになります。

伊勢名所案内より

宇治橋を渡って右に曲がり、参道を進むと右側には日清戦争《明治27年(1894年)~明治28年(1895年)》で鹵獲し、第2軍司令官・大山大将より献納された二十四珊米砲(24cm砲)が展示されておりました。

2020年1月16日撮影

日清戦役記念砲が展示されていた場所辺りの現在の画像です。

参宮案内より

参道の左側には日露戦役記念砲三門が展示されておりました。中央は大日本帝国軍が使用した二十八珊榴弾砲(28cmりゅうだんほう)、右側は旅順要塞嶗峰咀高砲台(りょじゅんようさい ろうほうそこうほうだい)に備えられていたロシア軍の二十四珊加農砲(24cmかのんほう)、左側は旅順要塞摸珠碓(もしゅしょう)第二砲台に備えられていたロシア軍の二十三珊加農砲(23cmかのんほう)でありました。

2020年1月16日撮影

日露戦役記念砲が展示されていた場所辺りの現在の画像です。

両宮案内より

ロシア軍から鹵獲した二十四珊加農砲の画像です。戦前には内宮神苑に数々の戦利品などが展示されていたことには、唯々驚きですね。

「両宮案内」にある「内宮々域図」の画像です。「ミ」がアリョール砲、「ユ」が日清戦役砲、「キ」が日露戦役砲の展示されていた場所になります。

進駐軍を含め海外の目には国家神道が日本人を戦闘に駆り立てたと映っていたため、敗戦後に日清・日露戦争の戦利品は適当でないと判断し、大砲などはガスバーナーで焼き切り、鉄くずとして運び出されました。

引用元:明治36年 神洲堂発行 伊勢名所案内、明治40年 参宮鉄道株式会社運輸係発行 参宮案内、大正2年 岡田商店発行 両宮案内、wikipedia

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