前回の夫婦岩 立石①の続きになります。
大正4年以前に発行された絵はがき「二見立石夫婦岩」の画像です。学生が岩のそばに立っていて、岩の大きさがよくわかる画像ですね。小岩(女岩、根尻岩)の括れもよくわかります。
前回に少し触れましたとおり、大正7年(1918年)9月24日に襲来した台風により、女岩のほうが根元から折れてしまいました。
大正11年(1922年)2月に二見興玉神社から発行された「立石復旧工事竣成記念写真帖」の表紙の画像です。この写真帖は台風による被害状況から復旧工事の過程の一連の写真を掲載したものになります。
写真帖の三枚目「大正七年九月被害前ノ立石(夫婦岩)」の画像です。
写真帖の24枚目「婦岩ノ傾倒ヲ防為 抱ヘ石ヲ布置シタル処(ロ)」の画像です。その後、応急処置で女岩の周りに抱へ石を置いていたようです。女岩は総重量が40トンもあり、その岩質が脆弱であったため、原型を保ったままの修復は至難の業といわれ、復旧工事を請け負う土木会社がいませんでした。
写真帖の36枚目「大正十年六月廿六日婦岩復旧工事起工式ノ四 起工式開始」の画像です。
2年半後の大正10年(1921年)になりようやく復旧案ができあがりました。鳥羽町(現・鳥羽市)の管組(現在の株式会社スガテック、東京都港区)が修復工事を請け負い、大正10年6月26日に起工式を行い着工しました。
写真帖の44枚目「婦岩曳揚工事ノ一 鉄バンド包装作業」の画像です。
管組が考案した工法は脆くなっている女岩を鉄製のバンドで包み、岩とバンドの間を綿で包み保護、固定してから吊り上げるというものでした。
写真帖の48枚目「婦岩曳揚工事の五 地盤上三尺曳揚」の画像です。女岩を鉄バンドで保護・固定した後、3尺(約90cm)引き揚げたところの画像ですね。
写真帖の50枚目「婦岩曳揚工事ノ七 岩體地盤接合部ニ埋置シタル萬代不動祈願石柱(イ)」の画像です。約90cm引き揚げた女岩と地盤の間に設置する石柱には「万代不動(ばんだいふどう)」と刻まれていました。「万代不動」とは「永遠に動かない」という意味であります。
写真帖の52枚目「婦岩曳揚工事ノ九 基礎工事(イ)」の画像です。女岩と基盤の岩を鉄筋で繫ぎ、コンクリートで固めました。
写真帖の54枚目「婦岩曳揚工事ノ一一 基礎工事(ハ)」の画像です。基礎をコンクリートで固めた後、鉄バンドを撤去した画像になります。永遠に動かないように基礎がしっかり固められていますね。
次回、夫婦岩 立石③に続きます。
出典:大正11年 二見興玉神社発行 立石復旧工事竣成記念写真帖、株式会社スガテック ホームページ、wikipedia