今回から2回に渡り、日本最古の厄除観音と云われる「松尾観音寺(まつおかんのんじ)」と昭和36年(1961年)1月まで存在した、三重交通神都線(しんとせん)の「松尾駅」をご紹介します。
松尾観音は外宮方面からですと御幸道路を内宮方面に向かい、神田久志本1(こうだくしもと)の交差点を左折します。伊勢警察署前を過ぎ二つ目の信号が倉田山公園入口の信号になりますので右折します。
200m弱進みますと左に入る道路(球場入口)がありますので左折します。画像の奥に見える支柱、ネットは倉田山公園野球場(ダイムスタジアム伊勢、伊勢球場)のものです。
内宮方面からですと国道23号線の松尾観音前の信号交差点を左折し、松尾橋の下をくぐり、300mほど進みますと球場入口があります。
倉田山公園入口から松尾観音前は現在、市道楠部27号線になっていて、この道路は昭和36年1月までは三重交通神都線・内宮線の軌道線でありました。
球場入口から緩やかな坂を上り、野球場の横を通り過ぎて少し進みますと松尾観音の入口があります。
左の路地に入りますと松尾観音が見えます。入口階段手前に3台分の駐車スペースがあり、この駐車スペース以外にも倉田山公園の駐車場も利用できます。
駐車スペースの右側に坂道があり、この坂道を下ったところに松尾駅がありました。
昭和34年(1959年)に撮影された松尾駅の画像です。画像奥が内宮方面になり、松尾観音へ上る坂道の辺りからの撮影になります。
松尾駅は松尾観音の参拝客ために造られた駅で当時は周りに人家はほとんど無かったと思われます。現在でも松尾観音付近に住宅は少なめです。
上の画像と同じ場所、同じ角度の現在の画像です。線路右側の水田は埋め立てられ現在は住宅地になっています。画像奥に見えるのは朝熊山です。
明治36年(1903年)8月に宮川電気により本町~二見間で電車の運行を開始し、翌明治37年2月に伊勢電気鉄道に変更、明治39年(1906年)10月に松尾駅を含む、古市口~宇治(後の猿田彦神社前)が開業しました。
大正11年(1922年)5月に松阪電気、津電灯と合併して三重合同電気になり、昭和3年(1928年)に朝熊登山鉄道を合併し、昭和5年に合同電気に社名変更しました。
昭和6年から昭和11年の間に合同電気株式会社運輸事務所から発行されたパンフレット「伊勢参宮名所案内」の表紙の画像です。
「伊勢参宮名所案内」にある鳥瞰図の画像です。赤いラインが軌道線(路面電車)になります。
「伊勢参宮名所案内」にある乗車運賃表の画像です。
昭和12年(1937年)3月に東邦電力と合併し、昭和14年8月には国策により電力事業と運輸事業を分離することになり、新たに設立された神都交通の経営になりました。
昭和19年(1944年)2月に三重県下の鉄道・バス事業を統合して三重交通が発足し、この軌道線は三重交通神都線となりました。
次回、松尾駅跡②に続きます。
出典:wikipedia