神宮の博物館

神宮農業館 外宮前 付属工芸館 仮徴古館 移築

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神宮農業館の画像です。現在の神宮農業館は倉田山にある神宮徴古館の北隣りにありますが、明治24年(1891年)の開館当時は外宮前にありました。

明治36年(1903年)2月に三重協賛会から発行された「三重県案内記」に掲載されている「農業館」の画像です。

「三重県案内記」の宇治山田町にある農業館の項には、「外宮神苑の前、国道の北側にあり神苑会の所属にて豊受大神宮の神徳に因み明治24年之を建設せり」と記載されています。明治19年(1886年)に発足した神苑会は、まず徴古館の一部として明治24年に外宮前の旧御師・久保倉大夫邸跡に農業館を開館しました。当時は鉄道も開通しておらず、説明文に国道の北側とありますので画像の門は南側(外宮側)にあったと思われます。

久保倉大夫邸跡を南側から撮影した現在の画像です。画像の道路は御幸道路で建物は「いせ市民活動センター」です。

説明文には更に「館内を農作種樹漁猟牧畜養蚕の五分に区画し更に24類に細別し各種産物製品及器具機器標本模形図書統計に至る迄偏ゝ網羅して公衆の観覧に供す 本館は神苑会幹事田中芳男氏が意匠を凝らし蒐集(しゅうしゅう)陳列せし所にして出品点数一万余点に上り学理と実際とを参酌して選択分類し斯業現在の進歩と衣装の程度とを一目の下に通暁せしむるの妙あり此種の陳列館は全国他に比類なきのみならず海外にも稀なりと云う」と記載されています。

当時は日本国内のみならず、海外でも稀な博物館であったようです。

「又此館の西隣に付属工芸館あり工芸品十六種千六百余点を陳列す共に斯業に裨益(ひえき)すること甚大なり」と記載されています。明治27年(1894年)に津公園内にあった三重県物産陳列場の建物と陳列品が三重県より神苑会に寄付され、その建物を移築・改修して農業館付属工芸館として同じく外宮前に開館しました。

1908年(明治41年)のスタンプ印のある絵はがき「伊勢山田倉田山農業館」の画像です。

博物館の建設は当初から倉田山が理想とされていましたので、明治37年(1904年)から4ヶ年の事業で建設されることが決定され、まず外宮前にあった農業館は移転、増築されました。そして翌明治38年7月に開館しました。

大正7年までに神宮司庁から発行された絵はがき「農業館」の画像です。倉田山に移転した農業館は当初は現在の神宮美術館の場所にありました。

「農業館」と同じ角度で撮影した現在の画像です。奥に少しみえるのが神宮美術館の建物です。

明治39年(1906年)11月に交益社から発行された「伊勢参宮案内記」に掲載されている「仮徴古館」の画像です。

農業館と同時に倉田山に移築した農業館付属工芸館を仮徴古館として開館しました。

明治40年(1907年)5月に参宮鉄道株式会社運輸係から発行された「参宮案内」に掲載されている「仮徴古館」の画像です。

少し引いた所から撮影した仮徴古館の画像になりますが、建っていた詳しい場所までは特定できません。

大正後期から昭和初期に発行された絵はがき「陳列室の一部」の画像です。農業館の展示の一部で鳥や鹿の剥製が写っていますね。現在でも農業館では色々な動物の剥製が展示されています。

農業館の入口の画像です。平成5年(1993年)の第61回式年遷宮を記念して神宮美術館が創設されることに伴い、農業館は平成元年(1989年)に解体されました。そして平成8年(1996年)に規模は縮小されましたが、現在の場所に移転・復元されました。

出典:三重県ホームページ 明治百景 農業館、神宮の博物館ホームページ、明治36年 三重協賛会発行 三重県案内記、明治39年 交益社発行 伊勢参宮案内記、明治40年 参宮鉄道株式会社運輸係発行 参宮案内

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