伊勢 神社港①からの続きになります。

令和2年に発行されたパンフレットにある、神社みなとまち再生グループ作成「神社港 昭和初期のすがた」の画像の一部です。
前回は神社港の江戸から明治時代を中心にご紹介しましたが、今回はこの昭和初期の地図を元に現在の町並みと比較などしながらご紹介していきます。

現在の港中学校前の画像です。大通りを直進すると一色大橋で左側へ入る路地が旧本通りになります。

旧本通りに入り400mほど進みますと柏屋旅館の立派な建物が見えてきます。東隣り(画像奥、海側)は新玉湯跡になり門柱が残っています。

柏屋旅館跡からしばらく進んだところにある雑貨屋跡の画像です。かつては賑わった商店街の名残ですね。

もう少し進みますと神社みなとまち再生グループによって立てられた案内看板があります。明治23年(1890年)には中西座という芝居小屋もできたそうです。

海岸通りの「神社・海の駅」の画像です。海の駅は「みずきⅡ世」による船参宮体験など神社港の観光の拠点となっているところです。
画像左側の細い路地の奥が「花街通り」になります。現在では花街の面影はありません。

同じく海岸通りにある資料館「みなとまち館」の画像です。海の駅のすぐ近くにあります(画像右奥が海の駅)。

昭和5年(1930年)に日本遊覧社から発行された「全国遊郭案内」の神社町の項の画像です。神社港には引本楼・豊盛楼・小田屋・花月楼・誘心楼・愛国楼・真砂楼・美咲楼の八軒の娼楼(貸座敷)があり、娼妓が30人居たとあります。


「伊勢神社港へ」の見開いた状態の画像です。神社港の説明文には「ローマンス豊かな別天地」とあり、柏屋旅館の特色には「付近の漁村より絶えず溌溂(はつらつ)たる鮮魚を求めて食膳に供する外に、浜の娘のサービスは特にその誇りとするところであります。」とあります。この当時、浜の娘のサービスはまだまだ盛んだったようですね。
昭和6年に参急電鉄(現在の近鉄)が宇治山田駅まで開業し、神社港は大阪方面からの観光客が訪れやすくなり、さらに賑わったのでしょう。
伊勢 神社港③に続きます。
出典:令和2年 神社みなとまち再生グループ 神社港、昭和5年 日本遊覧社発行 全国遊郭案内