近鉄鳥羽駅前の国道42号線を渡ると、佐田浜(さだはま)西公園があり、公園の中に「縁期の松(えごのまつ)」という松が植えられております(画像中央の松)。
江戸時代の正徳3年(1713年)に発行された地誌「志陽略誌(しようりゃくし)」に元々は「はしりがね」と呼ばれた船乗り相手の遊女の客待ちの場所即ち、“男女が会う約束を交わす場所”、ということからこの名前がついたそうです。
前回、鳥羽停車場でもご紹介した大正初期に発行された絵はがき「鳥羽港停車場及び縁期の景勝」を拡大した画像です。
水色の円で囲んだ小島に生えている松が「縁期の松」になり、現在の場所と同じになります。現在は埋め立てられて小島とJR鳥羽駅の間は陸続きになっていますが、昭和40年代までは海でした。さらにはJR鳥羽駅も明治の終わり頃までは海でした。
宛名面に昭和12年(1937年)4月12日のスタンプ印のある絵はがき「日和山より鳥羽湾の展望」の画像です。中央の縁期の松が植え直されていて、周りが石垣で補強されているのがわかります。上部が折れているような姿の初代・縁期の松は昭和初期に枯れてしまい、それを惜しんだ御木本幸吉が2代目・縁期の松を植樹したそうです。
「日和山より鳥羽湾の展望」と同じセットの絵はがき「駅付近エゴ松の風景」の画像です。この画像では小島の中央部が人工的に積まれた石垣とよく判りますね。潮が引いているときは小島に歩いて渡れたようです。
佐田浜一帯は昭和41年(1966年)から昭和47年(1972年)にかけて埋め立てられ、現在のようになりました。
2代目・縁期の松は平成25年(2013年)に松くい虫の被害により枯れてしまったため伐採され、平成27年に3代目が植樹されました。松の周りの石垣は昭和初期当時のものと思われ、石垣より右側の岩礁は道路をつくるために削られてしまいました。
縁期の松を海側から撮影した画像です。小島当時の岩礁がそのままの姿で残っている部分もあります。
縁期の松の付近から鳥羽駅を撮影した画像です。画像に写っている平地部分は嘗ては全て海だったのですね。
先ほどご紹介した絵はがき「日和山より鳥羽湾の展望」の縁期の松付近を拡大した画像です。縁期の松の左側にある建物は旅館・対神館(たいしんかん)です。対神館は赤崎海岸にあった待月楼(たいげつろう)の別館になります。昭和21年(1946年)に戸田家が継承し「戸田家鳥羽別館」として開業しました。
昭和4年(1929年)7月に志摩国史研究会から発行された「志摩巡り」に掲載されている対神館の広告の画像です。
佐田浜西公園から戸田家(対神館)方面を撮影した画像です。戦前は小さな木造旅館でしたが、戸田家に継承されて新築・増築を繰り返し、現在では巨大な旅館となっております。
現在でも自然のままの岩礁が一部残されています。
出典:鳥羽市観光課ホームページ、鳥羽デジタルアーカイブス、昭和4年 志摩国史研究会発行 志摩巡り、昭和47年 鳥羽志摩文化研究会発行 岩田準一著 志摩のはしりかね、wikipedia